不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2025.01.14

【宅建勉強会の軌跡】第14話

~お弁当大作戦~

次の宅建勉強会は、【住宅比較の社員Oさんの合格を目標にした勉強会】だったように思われる。

その最終作戦は、【お昼のお弁当作戦】だ。

【12時から、住宅比較が用意したお弁当を生徒さんみんなで食べる。】

全員出席で、【お弁当代は住宅比較負担】

欠席すると、【欠席者が全員分のお弁当代金を支払う】というものだった。

欠席をしてしまうと、約3,000円前後を支払わなければならず、出費が大きかった。

Oさんは、この出費が嫌で欠席ゼロだった。

よく考えたものだなと思っていた。

結果から言うと、Oさんは合格した。しかも合格点より5点オーバーだった。

Oさんは、ずっと30点前後で落ちていた。

宅建勉強会が始まったのも、住宅比較の社員であるOさんの宅建合格が目的であった。

Oさんは、宅建に落ちるたびに、社長に「来年は受けません」と言って社長と激論を交わし、乗り気でない中また翌年受験してまた落ちる、を繰り返していたそうだ。

社長がOさんの行動をよく見た結果の作戦であったと言える。

私は今まで計6回、お弁当代金を支払った。

講師のMさんも呆れていたことだろう。

しかも、私はその年も宅建試験不合格であった。

2025.01.13

【宅建勉強会の軌跡】第13話

~宅建勉強会が始まった~

2月から宅建勉強会が始まった。10月第三週の本試験まで約8か月半。

日数にして約260日。

ハウスメーカーの営業さんや住宅比較の社員など、数人での宅建勉強会でした。

前話で登場したイケメンのMさんが講師。

Mさんからこんな話があったのを覚えています。

「テストが近くなったらひたすら過去問をこなしていれば受かると思います」

【それなら最後の2ヶ月くらいで追い込んだ方が良いのではないか。】

そんな気持ちは捨てられない。

宅建は50点満点のテスト。

配点は下記の通り。

⓵権利関係   14点

②法令上の制限  8点

③税その他    3点

④宅建業法   20点

⑤5点免除問題  5点

合格ラインはだいたい35点前後。

受験者の点数上位15%の点数が合格ラインという、毎年合格点が変わるとても不可思議な方式を採用している。

試験日から合格発表日まで約40日あるため、自己採点が35点前後だと、【恐ろしい40日間】を過ごすこととなる。

Mさん曰く、「宅建業法は20点満点取りましょう」とのことだった。

最初は楽しく勉強会に参加していて、宿題も提出していたが、

4月に入ると【クレームが入った】【商談が入った】【体調を崩した】という

【黄金の3大言い訳】を理由に休みがちになった。

Mさんはとても優しい性格で、年齢もわたしよりも7歳も若かったため、休むことも伝えやすかった。

たまに社長から【雷】が落ち、休まなくなるが、また2週間くらい経つと休みがちになる。

これを繰り返していた。

また、水曜日のその時間以外は、宿題をやるくらいでほぼ週5は宅建勉強をしていなかった。

本試験は30点でまた落ちた。

2025.01.12

【宅建勉強会の軌跡】第12話

~数年経って~

宅建試験から4年。思わぬ所から宅建勉強会のお誘いを頂いた。

N営業所長が独立されてN社長になった。

そうです、住宅比較株式会社の社長が元々私の上司のN営業所長でした。

独立されて3年目。当時、住宅比較株式会社社員の宅建士取得者はゼロ。

社長のみ、宅建士資格保有者でした。

社員の資格取得のために【宅建勉強会】を開き、勉強させていたそうです。

その宅建勉強会にて合格したMさんを講師に、【宅建勉強会】を開くとのことでした。

毎週水曜日、午前9時~12時までの3時間でした。

正直、【小さな資格の合わせ技】で主任に昇格していたため、

昔ほど、宅建士の資格を熱望してはいなかった。

ただ、社長のお誘いでしたので、お断りする理由が見当たらず、

【受けてみる】ことにした。

この【受けてみる】が、良い結果に結びつかないのはよく分かることだろう。

講師となるMさんは、とてもイケメンでスポーツマン。

背が高くて瘦せ型、スラっと足が長い。性格もとても温厚で、優しい人だ。当時は怒っているところを見たことがないくらいだった。私とは確実に相反する位置にいる人だ。

年齢は私よりも7才若く、住宅業界歴は浅かった。

そのMさんとの【宅建勉強会】が始まった。

2025.01.11

【宅建勉強会の軌跡】第11話

【第11話】

~宅建、初めての受験 惨敗~

7月に宅建試験の申し込みを完了させ、試験日は10月第3週の日曜日だった。

9月に入ってから【駆け込み】で勉強すれば受かると思っていた。

理由は、「去年、試験1か月前から勉強して、合格まであと2点足りなかった」と他の営業所の人が言っていたからだ。

自分なら1ヶ月あれば合格するだろうと本気で思った。

【耳】というのは恐ろしいもので、その時に【自分が受け入れたい話】のみが情報として入ってくる。

結局、7月に買った参考書は、9月中旬まで、とても綺麗な状態を保っていた。

休日は丸々宅建勉強に費やすぞと計画を立てたものの、仕事を入れてしまった。

結局、試験まで合計20時間くらいの勉強時間しか割かなかった。

過去問にも手を出さず、参考書は何も書き込みのない、手の甲で押し付けた折れ目だけがしっかり付いていた。

点数は、自己採点しなくても分かる結果だった。おそらく50点満点中25点くらいであっただろう。

仕事が忙しかったこともあるのだと思うが、勉強しなかった。

同じチームの先輩は合格した。

その先輩は、若くして結婚し、お子さんがいらっしゃった。

宅建に合格すると、【資格手当】が毎月5,000円支給されるので、

「自分のお小遣いを5,000円増やすために頑張った」と言っていた。

それを聞いてもあまり関心がなかった。

営業なのだから、その分契約して給与を上げた方が良いのではないかと思った。

「資格試験取得したって、成績上がっていなければ、ただのインテリ自慢にしかならないのに・・・。」

「もっと仕事してよ、先輩!!」と心の中で声を荒げていた。

何かしら、周りに対して、変なプライドと生意気な自分がいた。

この頃から鏡を見るのが嫌いになっていた。そう思った。

2025.01.10

【宅建勉強会の軌跡】第10話

~そろそろ宅建勉強の話をしましょう~

展示場の店長になったが、役職は【社員】。

会社が推奨している資格一覧があり、私は全く所持していない。

それなので、【昇格】ノミネートにも上がらない。

同期で主任に昇格している人がいる。

気になってはいたが、焦ってはいなかった。

私を可愛がってくれている先輩たちは、大きな資格を所持しておらず、

【小さな資格の合わせ技】で昇格していた。

その事実が、私を安心させていた。

建築学科を卒業していない私では【建築士資格】は取得出来ないため、

私にとっての大きな国家資格は、【宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)】である。

周りには、【宅地建物取引士】資格を取得している営業がほとんどいなかった。

仕事は夜中まで稼働していた。

その中では、本気になれなかった。

一応、10月第3週目の本試験に向かって、7月末に7,000円を支払い、

受験申し込みを行った。この時購入した参考書は1度も開いていなかった。

【いつでも取れる】とでも思っていたのかもしれない。

2025.01.09

【宅建勉強会の軌跡】第9話

~念願の住宅展示場勤務~

急に住宅展示場へ異動が決まった。

色々な営業活動をさせて頂いた【飛び込み営業時代】であったため、

まだまだ結果を残せていない消化不良のような、何だか複雑な気持ちもあったが、内心嬉しかった。

埼玉県に近い、千葉県の田舎の住宅展示場。

住宅展示場の店長は、私が2~3年目の営業マン時代に大変お世話になったS係長。

S係長には、営業のノウハウを教えてもらった。

「何で?なんで?ナンデ?」が口癖で、お客様へのプレゼンテーションは、ほぼ数回やり直しを言い渡される。

徹夜で仕上げて、S係長が出社した早朝に提出し、またダメ出しを食らう。気持ちが萎えることもあったが、S係長の描くプラン(間取り)が好きだった。

私のお客様のプラン(間取り)を描いてもらいたくて、言われたことをこなしていた気がする。

そんなS係長のご指導の下、初めての展示場営業が始まった。

お客様が、【向こうから】来場してくれることが嬉しかった。

【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。

仲の良い先輩に聞いたら、「展示場来場のお客様はほとんどイベント目的だよ」と言われていた。

やはり【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。

住宅展示場【初接客のお客様】のことはいまだによく覚えている。

ご契約いただいたお客様だからだ。

築15年の家に住んでいて、まだ住宅ローンも15年残っている。

ご主人一人でご来場だった。

緊張のあまり汗をかきながら【初】展示場案内をした。

その日の夜20時頃にお礼の訪問をした。初めて会った奥様が玄関先でとても驚いていた。

奥様はご主人が住宅展示場に行ったことをご存じなかった。

私は正直にご主人様が展示場でおっしゃっていたことを話した。ご主人様がお風呂から上がられて、私が玄関先にいることに気付き、やはり驚いていた。

家の中にお邪魔させて頂き、今の家を建築した経緯や、ご夫婦の育ってきた環境、趣味のこと、お子様のこと等、お話を聞いた。

たくさん聴いた。時刻は夜中の1時を回っていた。

そこから2ヶ月後にご契約となった。「75歳まで一生懸命働かないとね」とご主人様がはにかんだ笑顔でおっしゃっていた。

全話でお話ししたNPO法人のイベントにもよく顔を出してくださった。

そば打ち教室がきっかけで趣味となり、のちにお店まで出すことになった。

関わる営業マンによって、お客様の生活が一変することがある。

ここまでは私の営業人生の話であったが、次話から【宅地建物取引士の話】に入る。

2025.01.08

【宅建勉強会の軌跡】第8話

~メロンを売って、家を売る???~

住宅展示場は、年々ご来場数が減ってきているという話を聞いて驚いた。

私の思い描いている住宅展示場は、【土日は家族連れが多く、子供の声があふれている】だった。

玄関インターホンは、カメラ付きが普及し始めていて、玄関先まで出てきてくれない。そんな困っていた所に、N営業所長から【タケノコを配って来よう】とお話頂いた。見込みのお客様宅や訪問してもあまり相手にされない方の家にタケノコを持っていったら、ビックリして出てきてくれた。その中で、自分の地元の話をしていただき、地元の特産物の話で盛り上がった。奥様の地元のみかんを頂いたら驚くほど美味しかった。

N営業所長は、NPO法人をお客様と立ち上げ、そのNPO法人にて各地の特産物を一括購入したり、夏休みには大工の工作教室、毎月の異業種交流会、秋には少年野球大会、おおみそかには親子そば打ち教室、子育て親子カフェやピアノ教室など、様々なイベントを開催し、お客様をお誘いした。

「家を買いませんか」は聞いてもらえませんが、「生でも食べられる美味しいとうもろこしを共同購入しませんか」だと、玄関を開けてくださる。

「メロンは買わないが、家の購入の相談に乗ってもらえる?」と言われ、本当にご契約になった時はとても驚いた。

いまはNPO法人は解散してしまった(N営業所長の退職もあり)。

その後も、この【お付き合い】の方からご紹介でご契約を数件頂けた。

いまだにお付き合いが続いている方もいる。

営業方法は無数にあるとはよく言うが、自分で実際に経験した。

「家を売らずに野菜を売り、家が売れた」

この経験は一生の宝だと思っている。

2025.01.07

【宅建勉強会の軌跡】第7話

~後輩が入ってきて先輩となる~

毎週1000分(約16.5時間)の議事録は過酷だった。

飛び込み営業をしても、玄関先でのたわいもない話で終わる。

議事録に書く内容もなく、ましてやサインなんてお客様に頼めない。

仲良くなった契約見込みのない家に行き、お茶を頂いてリフォーム等の話をし、議事録に書き、サインを頂くこともしばしばだった。

そんな生活が続き、そんな中、営業所に新入社員研修を終えた新人Yくんが入ってきた。

天然で、笑顔が可愛いらしい、とても感じの良い子だった。

そのYくんから教わることが振り返ってみると多くあった。

Yくんは、とても楽しそうに飛び込み営業をしていた。

議事録1000分については、【話したこと何でも書いていいですよね】と言って、

【〇〇様はみかんがお好き】とだけ書いてある、奥様のサインのある100分の議事録を提出してきた。

私は「これはダメだよ」と言ったが、先輩たちの反応は上機嫌だった。

【10年に一度の逸材】とN営業所長は言っていた。

Yくんはいつも笑顔で、人の悪口は言わないし、一生懸命だった。

ただ、お客様へのプレゼンテーションやトークは苦手。

話が長い私にも嫌な顔をほとんどせずに付き合ってくれていた。

今から考えると、私がYくんの活動時間を阻害するお荷物だったように思う。

1000分議事録がアポ商談で埋り始めた時、契約がやってきた。

ようやく暗い道から一筋の光が見えてきたようだ。

Yくんに対しても契約あがっていない先輩というのは、恥ずかしかった。

【商談時間】は、【健康診断書の数値】のようなものだと思った。

2025.01.06

【宅建勉強会の軌跡】第6話

~契約したのは自分のおかげ 集客は会社がするものだ~

初契約を終え、周りに「皆様のおかげでご契約いただきました」と言った。

同期や周りの営業所の先輩たちには「凄いね」「良かったね」と言ってもらえた。

ただ本当は、【契約なんて簡単】【先輩たちの営業力が低いな】と思った。

【集客さえ出来ていれば契約は取れるでしょ】

早く営業店ではなく、花形の【住宅展示場勤務】にさせてもらえないのだろうか。

営業店の3つの仕事【①飛び込み営業②電話アプローチ③チラシ投函】の数が徐々に減っていった。気持ちは【契約を取ること】でいっぱいだ。集客さえ出来ていれば契約は取れる。お客様がいつも来場する住宅展示場に早く配属されたい。

そんな思いから1年弱が過ぎ、全く契約が取れていない私がいた。

同期の年間トップは契約3件で、新人賞は一番貧弱そうなIくんが取得した。

彼は、飛び込み営業や現場見学会から契約をあげていた。

私の考えは2つだった。

【たまたま良いお客様がいたのだろう】

【本社に近い営業所だったから会社の認知度が違うからだ】

そんな折、その思いと裏腹に、N営業所長は、営業所全営業マンに【議事録1000分】をノルマに課した。一週間、お客様との商談時間を1000分(約16.5時間)とし、それを証明するために【商談議事録にお客様のサインをもらう】というものだった。

過酷な【毎週】が始まった。

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