不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2022.12.06

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ6を読んで

【本文】

私は1941年7月28日、ナポリで生まれた。ムーティ家は代々プーリア州モルフェッタに住んでいたが、母ジルダは子供は自分の故郷ナポリの病院で産むと決めていたのだ。私には2人の兄と双子の弟がおり、私たち全員はナポリで生まれている。母のセリフがふるっている。「将来、どこで生まれたかって聞かれたとき、ナポリといえば、誰にでもすぐ分かるからね」。まさか私が世界で活躍する指揮者になるとは思っていなかったろに。…

【感想】

幼少期から音楽が身近にあった著者の環境と母親の助け舟があったからこそ、指揮者ムーテイが誕生したということがわかりました。楽器演奏の楽しさ、父親譲りの歌唱力など幼少期の体験が感性を刺激し興味が湧き、のめり込んでいったのでしょう。仕事柄、もっと物件調査にのめり込む必要があると思います。これぐらいでいいだろう、ではなくもっとお客様目線で物件調査をしてまいります。私も音楽とは関係ありませんが、一度はナポリに行ってみたいと思っております。地中海に面した温和な環境を体感したいだけですが…。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.05

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ5を読んで

【本文】

音楽家として日本で懐かしい場所の一つが東京・上野の文化会館にある指揮者用の楽屋だ。初めてここを使ってから35年以上になる。机もソファも同じ位置にあってまったく変わっていないが、指揮するオーケストラによって、部屋の雰囲気がまるで違ってくるというのは興味深いことだ。フィラデルフィア管弦楽団のメンバー、スカラ座の音楽家、シカゴ響の楽員たち、それぞれが特徴を持っていて、この楽屋も一緒に演奏する人々の個性に合わせて表情が変わるような気がする。…

【感想】

東京文化会館の指揮者用の楽屋も著者が感じられるような「おもてなし」が演出されているのだと思います。私も人と接する瞬間を意識した、立ち振る舞い方を学んでまいります。私は何が優れたホールなのかわかっていません。これを機に東京文化会館、サントリーホールにも足を運んでみようと思います。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.04

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ4を読んで

【本文】

1988年、私は音楽監督を務めていたミラノ・スカラ座の来日公演に参加した。このときは指揮者カルロス・クライバー、ロリン・マゼールと一緒で、レナート・ブルゾン、ミレッラ・フレーニ、アグネス・バルツァら歌手もすばらしかった。今振り返ってみると、豪華なキャスティングで、よくこれほどのメンバーが揃(そろ)ったものだと思う。この機会に日本舞台芸術振興会の佐々木忠次さんと知り合った。…

【感想】

「私の履歴書」に連載される外国の著者の方々から、日本のおもてなしの心を称賛されることが多々あります。相手を敬う、気持ちよく過ごしてもらうという寄り添った心が外国の方々に響いているのだと思います。私たちの仕事も常に新しいお客様と接します。慣れではなく、出会ったお客様すべての方に、おもてなしの心で接することを本日からやっていこうと思います。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.03

日経新聞 私の履歴書 リッカルドムーテイ3を読んで

【本文】

1975年3月の初来日では大阪のフェスティバルホールで2回の公演が組まれた。演奏や移動の合間に京都と奈良を訪れたが、この時の印象は今も鮮明に残っている。日本の歴史を残す町並みには言葉もなかった。まずすべての建築が我々のものとは全く異なっており、何か宗教的なものを感じた。とくに寺院や神社、平和を象徴するような庭園、水が流れる音などは私にとっては哲学的な「超越の世界」だった。…

【感想】

「ラ・カメラータ・ムーテイ」とは、著者に寄り添ったファンクラブだと感じました。一般的なファンクラブと違い、日本に来日した際に著者に気持ちよく過ごしてもらおう、何をしたら著者に負担をかけず支えになるだろうか、など常に相手の立場に立った考えで運営されていると思います。私もお客様と接する上で、お客様のことを常に考え、他責にするのではなく、すべてのお客様から土地探しを安心して任せられる存在になるよう、毎日の行動から変えてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.02

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ2を読んで

【本文】

1975年3月、初めて日本の土を踏んだ。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのツアーで、大ベテランの指揮者カール・ベームと一緒だった。このときベームは80歳で私は33歳。ベームはツアー前半、7つの公演を東京で振り、私は後半を受け持ち、全国を回りながら9公演を指揮した。ウィーン・フィルとは71年にザルツブルクで初共演、来日時まだ4年の付き合いだったが、信頼関係が出来上がっていたと思う。…

【感想】

著者が今から47年前に初来日された時の日本の印象を自国の文化を保ち続け、感謝・礼儀を重んじる国だと感じたとおっしゃられております。やはり第一印象がとても大事だと感じました。私たちの仕事も日々お客様と接します。いつでも一期一会を大切に、出会った時に、また会ってみたいと思っていただける対応を心がけてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.01

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ1を読んで

【本文】

昨年の大晦日(おおみそか)、私の生まれ故郷ナポリはまたもや大変な騒ぎだった。コロナ禍でイタリア政府が新年を祝う恒例の花火を打ち上げないよう国民に注意を促したのだが、これに反発した住民が、あちこちで派手な花火をあげたのだ。日本では政府や自治体がこうしてくださいという要請だけで人々は従う。感染症まん延という非常事態で欧米とは異なる日本人の国民性が浮き彫りになったと思う。日本には何度も訪れた。…

【感想】

リッカルド・ムーテイ氏、私は無知で存じ上げませんでしたが、現代を代表するイタリア人指揮者ということで、本文から日本をこよなく好きな方だと思われます。「私の履歴書」を通してあたらしい出逢いに感謝させていただきます。1ヶ月間楽しみにさせていただきます。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.30

日経新聞私の課長時代 高宮満氏

日経新聞私の課長時代を毎週チェックし、勉強させて頂きます。

この記事では、今や大企業の社長になられた方々の“課長時代”を振り返り、苦労や経験談を紹介するコーナーです。

前回に引き続き、キューピーの高宮社長についての記事でした。

コンビニパスタソースの成功を経て、2001年マヨネーズ開発部署で課長となる。

看板商品が故の、社内のプレッシャーが激しく、苦労が絶えなかったとのこと。

経営幹部の厳しい意見にも諦めず、消費者メリットを訴え、商品化を勝ち取る。

2005年には本社の新規開発部署の部長に昇格。

ヒット商品がなかなか生まれず、風当たりも強まる中、上司の指示を断れず、納得していない商品開発を提案。

しかし、現場の意見に耳を傾けると無理な仕事をさせてしまっていることを知り、自身喪失。

次長に降格し、マネジメントの重要さ、必ず一人一人に強みがあり、それを見つけることが重要な仕事ということに気づいた。

【感想】

役職が上がるにつれて、周りからの意見が厳しくなったり責任が大きくなることは当然の事ですが、そこには自分の信念や、部下をマネジメントし、それを伸ばすことの大切さを感じたこの記事から学びました。

今や社長をされている高宮満氏も、過去には降格や、時には上司の意見とは反対のことをしているがそれは全てお客様の為というのがやはり会社のトップに立つ人間の姿だということをだと思いました。

住宅比較株式会社 吉田 真樹

2022.11.30

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一29を読んで

【本文】

この連載も終わりの回を迎えた。最後にプライベートについて触れたい。6年前の社長退任後、少しは自分の時間ができ、多少は女房孝行もと考えていたのだが、社外の仕事が増えたりして、なかなか思うに任せない。そうこうしているうちに新型コロナウイルスが猛威を振るうようになり、外出さえ難しくなった。それでも昨年あたりから規制が緩くなるに従い、コンサートや観劇などへ、再び家内と2人で出かけている。チケットの手配は私の役目。PCやスマホを操作し、時には秘書の助けを借りながら何とかこなしている。…

【感想】

75歳を迎えた著者のバイタリティに感心させられました。会長職に就かれても精力的に新しいことに挑戦していますし、趣味も多彩。歌舞伎の舞台に立ち公演に参加されていることに驚きました。

全てにおいて今まで仕事を通して培ってきた、段取り、スケジュールができているからこそ、忙しい会長職にありながら、色々なことに挑戦し、生き生きとした人生を送っているのだと思います。息子様達もそういう父の姿を見て良い生き方ができているのだと、家族写真から想像できます。私も現状に甘んじず何事にも挑戦してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.29

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一28を読んで

【本文】

ゼネコン141社が加盟する日本建設業連合会(日建連)の会長を昨年4月から務めている。かつては日本建設業団体連合会、日本土木工業協会(略称土工協)、建築業協会(BCS)が並立していたが、活動内容の重複が多かったことから2011年4月に3団体が統合し、日建連に一本化された。

統合後の日建連の初代会長に清水建設会長だった野村哲也さんが就任。社長の私が副会長の一人に就くことになり、建設業界の活動に本格的に携わることになった。…

【感想】

75歳で日建連の会長を務める著者の建設業界でのリーダーシップには、感銘を受けました。入札談合事件でも、ダメなものは駄目と言える業界に変えていく…。私たちの不動産業界でも時代の変化に対応した報告連絡相談、お客様に正確な情報を伝え、安心して不動産が買える仕組みを作っていきたいと思います。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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