不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2022.10.10

日経新聞を読んで

需要

不動産の需要は常に動いています。

マンションが求められている、都内が求められている、住みたい街ランキング、借りて住みたい街ランキング・・・

様々な状況や見通しによって変化し続けています。都内の価格高騰・コロナウィルスの影響から郊外へ、在宅ワークが増えてきたことから郊外へ・・・

今後の見通しはどうなっていくのか。兆しを逃さずお客様に情報を伝えていきます。

住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉

2022.10.09

日経新聞を読んで

建設・不動産の著書の紹介がありました。

興味を持つタイトルだと感じました。営業ノウハウの本はたくさんあります。内容も様々かかれていたり、これは以前にも見たことがあるなといった近しい内容のものもあると感じます。

ですが、本を読むことと、読まずに評論するだけでとでは大きく差ができ、自己成長の差になっていると感じます。

本を読み、世界を広げ、自身の当たり前を高めお客様へ提案いたします。

住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉

2022.10.09

日経新聞 私の履歴書 西川きよし⑨を読んで

【本文】

「天才やすし」からの熱心なコンビ結成の誘いに、大いに迷った。ただ私は崖っぷちにいた。最初の師匠、石井均先生は「3年間は我慢してみろ」といっていた。ところが役者業に芽が出たとはいえず、その期限が迫ろうとしていた。

一方で結婚を前提にヘレンと同居を始めたことで、ちゃんと生計を立てる必要があった。ヘレンは結婚したら家庭に入ってもらい、女優業の収入に頼らず私が養うと約束していた。

崖っぷちにいたのは横山やすしさんも同じだった。…

【感想】

これからの人生位おいて究極の選択を迫られ、妻の後押しで始めたものの、心細かった仕事を、自信つけさせたのは、必死の思いで練習を重ねた成果でした。私もお客様のことを第一に考え、傲ることなく日々勉強、訓練してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.08

日経新聞 私の履歴書 西川きよし⑧ を読んで

【本文】

運命の出会いは10代の終わりに相前後してまた一つ訪れた。

ヘレンにとって、西川家で看病されたのは新鮮な体験だった。母の杉本百合との2人暮らしで育ったので、大家族の人情に触れたのが面白くうれしかったらしい。米国人だった父は、ヘレンが生まれる前に帰国していた。このためヘレンは父親の顔を見たことがなく、母子家庭で育った。父に甘えるとはどんなことか、わからないという。それにも増して容姿で苦労していた…

【感想】

著者以上に奥様も大変な境遇で生き抜き、ハングリー精神をお持ちなどだと思いました。相方の横山やすし氏の絶対諦めない精神力も目標達成には必要な事と感じました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.07

日経新聞 私の履歴書 西川きよし⑦を読んで

【本文】

大阪名所の一つ、天王寺動物園。ある日、開園早々に詰めかけ、気合を入れてクマを観察した。テレビ初出演に備えた自分なりの研究だ。移動するときの前脚、後ろ脚の連動のしかた、首の動き、しぐさ。弁当片手に昼下がりまで、6~7時間は粘った。 吉本新喜劇では1年ほど前から舞台に立ってはいた。せいぜい通行人Aか、よくて食堂の客どまり。セリフも「ごちそうさん。おばちゃんいくら?」程度だった。下積み役者の私が、クマ役とはいえテレビ出演が決まったのだ。…

【感想】

クマ役といえ、朝から晩までクマに密着し、真剣に仕事に取り組む姿勢に感心しました。何事にも手を抜かず、一所懸命にやることでお客様に伝わると信じて行動してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.06

日経新聞 私の履歴書 西川きよし⑥ を読んで

【本文】

「声は大きく、あいさつは元気に」石井均先生の元で、芸能界での下積み暮らしが始まった。ガソリン臭にまみれた自動車整備工場とは全く違う、鬢(びん)付け油の臭いが漂う楽屋で、みっちり礼儀作法を仕込まれた。あいさつは今も目下目上を区別しない師匠譲りの作法が染みついている。弟子は師匠の身の回りの世話を一通りする。使い走りや伝令役をこなしながら、要領のよしあし、折衝相手ごとの距離の取り方、気が利く・利かないなど、弟子としての力量が試されていく。…

【感想】

厳しい時代を生き抜くためには、努力と忍耐が必要だ。「声は大きく、あいさつは元気に」という今でも著者の代名詞だが、一度会った人でも印象に残ったのだろう。これから、いつでも声を大きく元気に対応してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.05

日経新聞 私の履歴書 西川きよし⑤を読んで

【本文】

「一瞬でもまぶたを閉じるのが遅れたら大変なことになっていましたよ」気がついたら病院のベッドで、頭中を包帯でぐるぐる巻きにされていた。溶接機の事故で、首から上が大やけどを負っていた。とっさに目をつぶった反射神経を、医師は褒めてくれた。ただ、以前のように視力が戻っているかどうかは、包帯を外してみるまでわからない。何日続いたろう。入院している間、包帯の下で、不安に押しつぶされそうだった。人相が変わっていたらどうしよう…

【感想】

大事故に遭われ、最初の仕事は諦めざる終えなかった、そこから新たな道へと進む精神力は今に通じるところがあるのだろう。人をうらやむのではなく、自分の信念で仕事をしていく、基本に立ち返ってみるのも大事だと思いました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.04

日経新聞 私の履歴書 西川きよし④を読んで

【本文】

学業は飛び抜けて得意な科目があったわけではなく、どれもそこそこの成績を修めてきたつもりだ。中学3年のころには、サッカーの強いある私立高校への進学を夢見ていた。母は学資借り入れの算段までしてくれたが、その直後に父が十二指腸潰瘍になった。家計の苦しさを知っていたので、これをきっかけに進学はあきらめた。中学を卒業すると、自動車整備工場に就職した。「人間、手に職さえあれば食べていける」。母からかねてこう聞かされていた。…

【感想】

目先の作業だけではなく、先を読んだ行動、物事の顛末を予測した行動を取ることが、無駄のない仕事に繋がるのだと思いました。まずは、行き当たりばったりの仕事ではなく、スケジュールをしっかり立てます。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.10.03

日経新聞 私の履歴書 西川きよし③を読んで

【本文】

はしけ船が所狭しと行き来する大阪湾・尻無川河口。沈んでしまいそうなくらい喫水線ギリギリだった船が、積載していた重油やコークスやバラス、瓦などの荷下ろしが進むにつれ、みるみる浮き上がってくる。小学生の私は、飽きずに眺めていた。大阪に引っ越すと、父はタクシーの運転手として働き始めた。一度出勤すると、2日に1回しか帰宅できないシフトで、過酷な勤務だった。母は電球の二股ソケットのはんだ付けや、一升瓶のコルク栓つくりといった内職で家計を支えた。…

【感想】

昭和初期の貧困の時代を生き抜いた思いからのハングリー精神でここまできたのだろう。「他人様をうらやましがらない」「人の悪口は言ってはならぬ」親の教えを守り、今日の人望が形成されたのだろう。私も人のために何ができるか考え、人から依頼される、人から信頼される人間になれるよう日々精進してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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