不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2022.11.17

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一16を読んで

【本文】

「周辺の営業所から来た研修生の次の配属は都内の建築ナンバー部ですよね」。見積(みつも)り研修中に人事部の先輩とこんな話をしていたら現実は大違いだった。ナンバー部とは建築第1部から、多い時は第9部もあった本社建築本部の東京担当主力部隊。しかし、あにはからんや、研修明けに出た辞令は「長野営業所勤務を命ず」。年末まで9カ月間の見積り研修中に見合いをし、翌年2月の結婚を決めていた。婚約時代に「研修後の赴任地は都内だと思うよ」と家内には囁いていたらしいが、予想は大きく外れた。…

【感想】

研修後に長野営業所に配属され、極寒の工事現場を経験した著者ですが、やはり事前の準備、段取りが重要で乗り越えてこられたのだと思います。何事もスケジュール、段取りに時間をかけて、成果を上げてまいります。気温も下がり乾燥する季節になりましたので、体にも事前の備えを怠らず行動してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.16

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一15を読んで

【本文】

横浜営業所には6年間在籍した。次第に仕事に慣れてはいくが、楽にはならない。現場では毎日のように予期せぬ出来事に遭遇した。「宮本とはもう仕事をしない」と協力会社の職長に面と向かって言われたことがある。入社4年目。現場で段取りが出来ていなくて次工程の仕事が始められず、朝来た職人たちを何の仕事もせずにそのまま帰すことになってしまった。私の説明が言い訳がましく聞こえたのだろう。30代半ばで血気盛んな職長は許せなかったようだ。…

【感想】

著者も試行錯誤しながら、全ての仕事が事前の段取りで決まることを体感で教わったようです。

不動産業もやはり事前の下準備、スケジュールなどをしてから打合せに臨まないと

全く意味のない仕事になってしまいます。

常に事前の段取りに時間をかけるようにしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.15

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一14を読んで

【本文】

現場で働き始めてしばらくすると、職場の内情や暗黙の了解事項が徐々に分かるようになる。時代は昭和40年代半ば。どの業界も同じような状況だったと思うが、差別やいやがらせ、今風にいえばハラスメントが普通にあった。例えば、現場に事務専門の女性スタッフが配置されていた。勘定書類の処理などを担当し、コンクリートのボリュームなどの細かい計算を算盤(そろばん)でやってくれる。皆さん優秀で早くて正確。しかし、彼女たちは社員ではなく有期雇用で現業員と呼ばれていた。…

【感想】

建設業界の処遇改善、労働時間短縮、女性活躍推進の遅れは、私たち不動産業界でも同じだと思いました。自ら変わっていかないと、人員が増えず、会社が衰退して行くと思います。肝に銘じて行動してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.14

日経新聞 私の履歴書を読んで休刊日のため過去記事

【本分】

「声は大きく、あいさつは元気に」石井均先生の元で、芸能界での下積み暮らしが始まった。…

【感想】

昔は当たり前のことのように上下関係や下積み経験などがあったが、最近は若者がすぐ辞めてしまうなどの理由や、パワハラだのセクハラだの難しい社会になってきていると思います。

冒頭の「声は大きく、あいさつは元気に」はいつの時代も変わらず必要なことなので、実戦してまいります。(前回も書いたのですが、いつの間にか忘れている自分がいます)

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.13

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一13を読んで

【本文】

「このたび横浜営業所に配属になりました新入社員の宮本です。お世話になります」。51年前の初夏のある日、私は桜木町駅近くにあった営業所を訪ねた。「君が宮本くんか」と迎えてくれた営業所長は強面(こわもて)で迫力満点。片手に白い手袋をして一分の隙もない。覚悟はしていたが「スゴいところに来たな」というのが第一印象だった。入社当時の私は、色白でやせぎす。身長1メートル81センチで、体重57キロ。スマートというより、吹けば飛ぶような体格だった。…

【感想】

著者の入社当初から、現場で揉まれ工事の採算で、作業をいかに無駄なく進めるかということを体で覚えたことで、経営感覚が身についたと自覚されておりました。仕事をする上で時間をかければ良いのではなく、いかに無駄な時間を省き、早く正確に行うことを心がけてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.12

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一12を読んで

【本文】

1971年7月、私は清水建設に入社した。なぜ4月ではないのかというと、学生運動の影響である。東大紛争は安田講堂占拠などへエスカレートし、69年の入試中止をはじめ様々な波紋を広げた。キャンパスは荒れ果て、講義も試験もなく、学生が十分な大学教育を受けたとはお世辞にもいえなかった。このため3月卒業は認められず、6月に延ばされた。当時文部省(現文部科学省)と企業が話し合い、東大新卒者の入社時期は7月になったと聞かされた。…

【感想】

著者の波乱の入社当時、清水建設の歴史がわかりました。

余談ですが、私、社会人一年目は、イトーヨーカ堂だったのですが、入社後の研修を著者と同じ代々木オリンピック記念青少年総合センターで行いました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.11

日経新聞 私の履歴書宮本洋一⑪を読んで

【本文】

卒論で同じテーマを選んだ同級生が2人いた。彼らとは今も親交が続く。福岡県出身の鳥巣元太君は竹中工務店勤務後に設計事務所を立ち上げ、北海道出身の石川哲男君は一緒に清水建設に入社した。彼らと都内の住宅地を回り「家の中でケガをしたことはありませんか」「どんな状況でしたか」「階段の蹴上げや踏み面の寸法は?」といった質問のアンケートを実施。集めたデータは膨大で分析・執筆に多大な時間を要した。…

【感想】

50年以上前に友人と都内の住宅地を回り、居住空間での事故をアンケートデータを収集、住まいの安全について考えていたことに感銘しました。住宅比較株式会社の土地と建物のトータル提案ですので、住宅の知識も蓄積していきます。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.10

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一⑩を読んで

【本文】

東大音楽部合唱団コールアカデミーの訪欧団は温かく迎えられた。当時の西ドイツの首都ボンや南部バーデン=ヴュルテンベルク州のトロッシンゲン、そして「音楽の都」であるオーストリアのウィーンなど各都市で公演し、現地の大学との交流も行われたと記憶している。1970年3月6日、17日間の日程を終え、無事羽田空港に帰着した。音楽部の訪欧公演は大成功と讃えられ、幕を閉じた。余談だが、この時から2年前の68年春に西ドイツのミュンスター大学の訪日団が来日していた。…

【感想】

体制を壊すといってもその後に何をつくるのか考えていない…。仕事でも目先のことだけやるのではなく、先を予測して準備をして行動することが大事と思いました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.11.09

日経新聞 私の履歴書 宮本洋一⑨を読んで

【本文】

音楽好きは物心ついた頃から。ラジオでクラシック音楽をよく聴いていた母の影響かもしれない。その母の末の妹である叔母の博子はピアノが上手で、幼い頃、彼女の伴奏で従姉妹と童謡を歌ったのを覚えている。中学生になる頃には映画音楽が好きになり、ジョン・フォード監督の「駅馬車」やジョン・ウェイン監督・主演の「アラモ」など西部劇に心を奪われ、ラジオで聴いて覚えた挿入歌を遠足のバスの中で友だちと歌ったこともあった。…

【感想】

ここにも著者の何事にも全力で一所懸命打ち込む一面が垣間見れたと思いました。

私も空地空家調査で地主様とお会いする機会も多いため、個々に違ったアプローチ方法、話題作り、ご提案など、視野を広げるため、仕事以外で全力で打ち込む趣味を幅広く持ちたいと思いました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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