スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 赤松良子12を読んで(休刊日のため)

【本文】
1964年4月、米国研修を終えた私はロンドンに飛んだ。もともとの研修は半年間だが、費用を自分で負担し、約2カ月の欧州視察をプラスすることができた。「中高年労働者の雇用問題」をテーマに、各国の労働関係の役所やジュネーブにある国際労働機関(ILO)本部などを訪問した。でも自腹だから、自由もある。フランスではもっぱら「芸術活動」。毎日、美術館を見て歩いた。…
【感想】
自ら手を上げ、試験に挑んでつかんだ海外研修は、人生のターニングポイントといえるかもしれない。…今更ではありますが、人から言われてからやるのではなく、自分から手を挙げつかんでいくことをしなければ、新しい道は切り拓けないと感じました。お客様もこちらから導いていかなければ、時期も、場所も、決まりません。積極的に動きます。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ11を読んで

【本文】
ヴェルディ音楽院を卒業する1966年、私が指揮したのはあのナポリ楽派、ジョヴァンニ・パイジェッロの「マレキアーロの居酒屋」というオペラだった。これが私の生涯初めてのオペラ指揮で、クリスティーナも歌手として加わっていた。リハーサル中に忘れられない「事件」が起こった。私は音楽院の学生たちのオーケストラを右手で指揮し、左手はオーケストラピットの手すりに置いていた。客席にいたヴォットが近づいてきて突然、私の左手を叩いたのだ。…
【感想】
著者も一流としての信頼を得るために、恩師の厳格な指導があったことを知りました。「自ら厳しく課す勉強と、節度ある態度が求められる」これは、どんな職業でも同じことですが、著者は一度指導されたことは吸収して同じ過ちをおかさなかったであろうと思われますが、私は何度も繰り返します。少しずつでも改善できるよう、日々自問自答しながら進んでまいります。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ10を読んで

【本文】
1962年11月にミラノに着いた私は、明るくて家庭的な南イタリアとは全く異なる北イタリアの雰囲気に戸惑った。ヴェルディ音楽院で師事することになったヴォット先生はよそよそしく、冷たい感じがした。まず私にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲を勉強してくるようにと指示した。1週間後に学生オーケストラを指揮し、思うようにできなくて絶望的な気分になったが、とにかく先生の指揮科のクラスに入ることを許された。…
【感想】
著者に出会った恩師たちが、才能を見い出しさらに開花させるよう新しい先生を紹介してくれる…。人との出会いを大切にし、活かして自分も成長し、感謝する。恩師が大切にしていることは、基礎をみっちり叩き込むこと。全てに於いて基礎がしっかりしていないと成長できないと思いました。どうしても慣れがあり、お客様もわかっているだろうと、大切な部分を省いてしまう傾向があります。お客様との接する基礎から今一度、見直して日々訓練してまいります。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ9を読んで

【本文】
ナポリ楽派は20世紀初期まで川の流れのように続いていた。ここでは私がよく取り上げる作曲家、マルトゥッチの名前を挙げたい。彼はナポリで教育を受け、1909年に没した。作曲だけでなくドイツ音楽のイタリアでの普及に努め、ベートーヴェンの第九のナポリ初演、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のイタリア初演を果たした。マルトゥッチはナポリのピアノ教育の創設者というべきタールベルクの弟子だった。…
【感想】
音楽院のナポリ学長からの一言で指揮者を目指すようになった著者ですが、基礎をつくるうえで、作曲の勉強を和声楽、対位法、管弦楽法、ヴァイオリンなどを学んでいます。何事も基礎が大事ということを恩師の方々から教わり、多方面から吸収して指揮者として成功されました。私もお客様に役立つ情報、色々なことに興味をもち、挑戦することで、会話のヒントになる情報を入手し、信頼できる人間を創ってまいりたいと思います。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ8を読んで

【本文】
ニーノ・ロータ先生は何かと私に気をかけてくれ、本格的なオーケストラの演奏や合唱、それに弦楽四重奏に初めて接する機会を与えてくれた。先生は自らの作品をピアノで弾いてくれたり、今まで未知の音楽、例えばアルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」を聴かせてくれたりした。私にとってロータ先生の存在は大きかった。音楽院の授業は気に入っていたが、先生はバーリにいつもいるわけではない。兄2人がナポリで勉強していることもあって、母も私をそろそろナポリで学ばせたいと思っていたようだ。…
【感想】
今まで全く関心がなかったナポリの音楽の歴史について学ばせていただきました。世の中に出ていなかった貴重な作品を甦らそうと動かれたことも、本質を見極める力があってこそだと思いました。私も関心がなかったことにでも手を広げ、一歩踏み入れることで新しい何かが見えて、違うものの見方ができると思います。硬いアタマをどう柔らかくしていくか、色々なことに手を出して興味を持つことが大切だと感じました。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ7を読んで

【本文】
母の一言のおかげで、レッスンは続くことになった。不思議なことにある日突然、譜読みがすらすらできるようになった。するとヴァイオリンにも興味がわき、2年後にはコンサートで演奏するまでになっていた。とはいえ、父はあくまで音楽家にするつもりはなかった。音楽の世界で成功しても町の楽団の一員になるぐらいだと思っていたからだ。私はというと次第に音楽に魅せられ、楽器の関心もヴァイオリンからピアノに移っていった。…
【感想】
ニーノ・ロータ先生との出会いが著者の人生を変えた。先生は、最初の出会いで、演奏を弾く前から、著者のオーラを感じ取ったようでした。立ち振る舞い、言葉づかい、身なりで自信に満ちたオーラを感じ取ったのでしょう。私たちも初めてお客様に会う瞬間、第一印象が大事ですので、日頃からの癖をなおし、動きひとつにも気を配りたいと思います。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ6を読んで

【本文】
私は1941年7月28日、ナポリで生まれた。ムーティ家は代々プーリア州モルフェッタに住んでいたが、母ジルダは子供は自分の故郷ナポリの病院で産むと決めていたのだ。私には2人の兄と双子の弟がおり、私たち全員はナポリで生まれている。母のセリフがふるっている。「将来、どこで生まれたかって聞かれたとき、ナポリといえば、誰にでもすぐ分かるからね」。まさか私が世界で活躍する指揮者になるとは思っていなかったろに。…
【感想】
幼少期から音楽が身近にあった著者の環境と母親の助け舟があったからこそ、指揮者ムーテイが誕生したということがわかりました。楽器演奏の楽しさ、父親譲りの歌唱力など幼少期の体験が感性を刺激し興味が湧き、のめり込んでいったのでしょう。仕事柄、もっと物件調査にのめり込む必要があると思います。これぐらいでいいだろう、ではなくもっとお客様目線で物件調査をしてまいります。私も音楽とは関係ありませんが、一度はナポリに行ってみたいと思っております。地中海に面した温和な環境を体感したいだけですが…。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ5を読んで

【本文】
音楽家として日本で懐かしい場所の一つが東京・上野の文化会館にある指揮者用の楽屋だ。初めてここを使ってから35年以上になる。机もソファも同じ位置にあってまったく変わっていないが、指揮するオーケストラによって、部屋の雰囲気がまるで違ってくるというのは興味深いことだ。フィラデルフィア管弦楽団のメンバー、スカラ座の音楽家、シカゴ響の楽員たち、それぞれが特徴を持っていて、この楽屋も一緒に演奏する人々の個性に合わせて表情が変わるような気がする。…
【感想】
東京文化会館の指揮者用の楽屋も著者が感じられるような「おもてなし」が演出されているのだと思います。私も人と接する瞬間を意識した、立ち振る舞い方を学んでまいります。私は何が優れたホールなのかわかっていません。これを機に東京文化会館、サントリーホールにも足を運んでみようと思います。
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日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ4を読んで

【本文】
1988年、私は音楽監督を務めていたミラノ・スカラ座の来日公演に参加した。このときは指揮者カルロス・クライバー、ロリン・マゼールと一緒で、レナート・ブルゾン、ミレッラ・フレーニ、アグネス・バルツァら歌手もすばらしかった。今振り返ってみると、豪華なキャスティングで、よくこれほどのメンバーが揃(そろ)ったものだと思う。この機会に日本舞台芸術振興会の佐々木忠次さんと知り合った。…
【感想】
「私の履歴書」に連載される外国の著者の方々から、日本のおもてなしの心を称賛されることが多々あります。相手を敬う、気持ちよく過ごしてもらうという寄り添った心が外国の方々に響いているのだと思います。私たちの仕事も常に新しいお客様と接します。慣れではなく、出会ったお客様すべての方に、おもてなしの心で接することを本日からやっていこうと思います。
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