不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2023.01.31

日経新聞 私の履歴書 古賀信行30を読んで

【本文】

若い頃「会社を辞めようかな」とつぶやくと、妻はきまって「何する? 塾でもやろうか」とうれしそうに言ったものだ。ばかばかしくなって会社を辞めるのをやめた。家のことは全て妻に任せっきりだった。企業人として今日までやってこれたのは、妻のおかげだ。感謝しかない。息子と娘、それぞれの連れ合い。3人の孫。古賀ファミリーは9人になった。野村証券に入ってもうすぐ50年目になる。名誉顧問の任期は2025年3月31日まで。会社のルールに従って、その時までに私は野村を去る。…

【感想】

「自分はまだ若い。自分の出番はまだ先だ」とは思っておりませんが、まだまだ勉強が足らないと感じました。 著者は、これまでの経験を生かし、違う分野の仕事をしてみたいと、ゆっくり余生を過ごす感じではない。私も明日から宅建勉強会が始まります。 全員合格を目指し、勇往邁進してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.30

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行29を読んで

【本文】

元号が平成から令和に変わった年、2019年の12月は私にとって悲しい月になってしまった。26日に臼田浩義さんが亡くなった。私が野村証券の引受部時代の思い出をつづった回で紹介した、東京エレクトロンの臼田さんだ。1998年に日本ダービーを制した名馬スペシャルウィークの馬主でもある。初対面では名刺を受け取ってもらえずおおいに戸惑ったが、異彩を放つ人柄に引かれ、仕事を離れてもお付きあいはずっと続いた。…

【感想】

山田コンサルティンググループの山田淳一郎氏も高卒で就職し、努力して公認会計士の資格を取得し独立した苦労人。私はまだまだ苦労が足りない、日々勉強し続けなければならないと感じました。「一期一会」を大切にし、人生観を養いながらも一人で考える時間も持つ。毎日の行動を変えてまいります。

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2023.01.29

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行28を読んで

【本文】

福岡市博多区の伝統の夏祭り、博多祇園山笠。男たちが山笠を担いで市内を疾走する「舁(か)き山笠」が、2022年に3年ぶりに復活したそうだ。私も山笠の上に乗る「台上がり」を経験したことがある。18年7月13日。フィナーレとなる「追い山」の2日前、「集団山見せ」だ。この日は博多にゆかりのある知名人などが山笠に上がるのが恒例になっている。私も祭りの存在は知っていたが、台上がりを経験するとは思ってもみなかった。縁あって選んでいただいたのは、本当に幸運だった。…

【感想】

不祥事を起こした時に出会った方のおかげで縁あって山笠の「台上がり」を経験されたそうです。不祥事を経験し、信用回復に尽力された姿を間近で見ていた方からの推薦でした。地元の方々と触れ合いながら逮捕された方を思い出した。…色々な想いがあり酒宴で「博多祝い唄」を独唱されたそうですが、皆さまへのエールのように感じました。今日は日頃やらない大胆なことをやってみましょう。

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2023.01.28

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行27を読んで

【本文】

2018年(平成30年)から、私は経団連の審議員会議長を務めたが、その時の会長が、日立製作所の社長・会長を務めた中西宏明さんだった。残念ながら21年にお亡くなりになった。経営者として日立を立て直し、経団連会長に就任してからは就活ルール見直しなどの先頭に立った。多くの功績を様々な人が語り継ぐ。その人物に間近で接することができたのは、私にとって大変に幸せなことだった。ずばりと本質をついて方向性を示す方だった。…

【感想】

年齢に関係なく、新しい人と身近に接することで刺激を与えられ、成長するのだと思いました。まわりくどい話をするのではなく本質をついて話す。人に好かれようと…、嫌われたくないから顔色をうかがいながら言葉を濁す…。相手に見透かされてしまいます。これから本質をついて話すようにします。また、中西氏を見習い、ITを積極的に活用してまいります。

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2023.01.27

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行26を読んで

【本文】

2014年(平成26年)6月から経団連の副会長を務めた。就任する時、私はひとりの野村証券の大先輩を思った。秘書として2年間仕えた田淵節也元会長だ。田淵さんは1991年の証券不祥事の責任をとり、経団連副会長を辞任した。90年12月に証券業界初の副会長に選ばれてから、わずか半年後のことだった。田淵さんの副会長辞任について、メディアから「解任」と評されたことがあった。しかし、これは田淵さんが時の経団連会長である平岩外四さんに辞める意向を伝え、受け入れられたものだ。…

【感想】

私もこれから助詞の使い方に注意します。「いたしましても…」と「いたしましては…」では責任の取り方が違ってきます。覚悟を持った発言をし、自分の言ったことには責任を持つ習慣をつけてまいります。「慧可断臂」

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2023.01.26

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行25を読んで

【本文】

2008年(平成20年)から野村証券の会長になり、11年には持ち株会社野村ホールディングス(HD)の会長を務めるようになった。一般に証券会社の会長は業界活動が増え、日本証券業協会の役職につくことが多い。私の場合はそれよりかなり前から日証協に関わってきた。田淵節也さんが日証協会長を務めた1987年に協会長秘書を務め、それからも日証協との付き合いは続いた。常務時代に株式店頭市場の運営を議論する特別委員会にも加わったが、周囲は準大手・中堅証券の会長ばかりだった。…

【感想】

「4社体制」が消え、銀行系証券・ネット証券など新しい波が押し寄せ、情勢が刻々と変化していく中で大手もウカウカとしてられないと感じました。私たちの不動産業界も同じで、大手や他社のやらないこと(JH専任サポート)を積極的に行い、お客様から信頼を勝ち取ることにより、ハウスメーカーからの信頼につながると思いました。また、IT重説・契約など新しいことにもチャレンジが必要だと感じました。

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2023.01.25

私の課長時代を読んで


私の課長時代 柏谷邦彦氏
オリックスの海外融資審査課長を務めていました。
数字を根拠に部長に提出するも、分析が
足りない。と突き返されます。
多面的に実情を調査する事が大事で、数字だけで判断できない。
スケジュールの甘さや周辺の住民の調査がなされていませんでしたので、この記事を読んで更に反省して今後の仕事に繋げていきます。

住宅比較株式会社

吉田真樹

2023.01.25

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行24を読んで

【本文】

「なぜ、これほど低いのですか?」野村ホールディングス(HD)が自己資本利益率(ROE)15%を記録した2006年3月期決算に対する、米国投資家の反応だった。事業に必要な資金をもっと借り入れで賄うようにすれば、ROEをさらに上げられるではないか、というわけだ。実際、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど証券業を専門とするウォール街の投資銀行は、こうした財務手法を駆使して20〜30%のROEをたたき出していた。日本企業としては、高ROEでも、米国基準ではいかにも貧弱、創意工夫が足りないと映ったのだろう。…

【感想】

サブプライム危機で多くの損失を計上したが、著者の指揮のもと、早い対応で米国投資家の信頼を得た。そして今までと同じやり方ではもたない、とイノベーションを起こすべく新社長を迎えた。私たちも日経新聞や他の本を購読し、日々刻々と変化する社会情勢を感じ取り、私情に対応した仕事をしてまいりたいと思います。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.24

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行23を読んで

【本文】

私が社長になった2003年(平成15年)に野村ホールディングス(HD)は、指名・監査・報酬の3委員会を持つ委員会等設置会社へと移行した。野村の企業統治(コーポレートガバナンス)が大きく変わった。この年4月施行の商法で認められた委員会等設置会社は、経営の執行と監督を分離する「米国型企業統治」と肯定的に評価されていた。とりあえず様子を見る日本企業も少なくなかったが、野村は「やるからには最初に」と考え、早く動いた。…

【感想】

「委員会等設置会社」への移行は、日本特有のとりあえず様子見の企業が多い中、いち早く動いた(スピード)。「中庸」の気持ちだけではダメで「やってやれない事はない。やらずにできるわけがない。」に打って出た中で、失敗もあった。著者はその失敗を貴重な教訓と捉え、同じ失敗をしなかった。「PDCAが」回れば野村HDのようにもなれます。私も同じ失敗は繰返ないよう、またメンバーにも共有して失敗をさせないよう仕事をいたします。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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