スタッフブログ
般若心経(不増不減)
何かが増えたり減ったりするたび一喜一憂するのが、私たちの実際の暮らしです。
たとえばここに千円があったとして、千円もあると喜ぶ人と、千円しかないと悲しむ人がいます。
この世は空ですから、そのことで何も変わっていないのに、千円を心がどう感じるかによって、
幸福にもなれば不幸にもなるのです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 不垢不浄(ふくふじょう)
きれいとか汚いということは、すべての人の心が決めるもので、きれい汚いの実体があるわけではありません。
例題としてよく使われるのが、小便をいれたコップを煮沸消毒し、汚れを完全に拭い〔ぬぐ〕い去ってからビールを
つぐとします。知っていればビールは飲めません。コップを汚いと決めるのは、人の心だということです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 不生不滅(ふしょうふめつ)
生と死とが人生で最大の出来事です。
人はどんなに長生きしたところで必ず死を迎え、死ぬのはもちろんそこまで生きてきたからです。
生を離れた死はないし、死を離れた生はありません。生も死もお互いの関係の中から生まれてくるのですから、
生と死だけのそれぞれ切り離された実態はありません。
春日部店 赤松 誠
般若心経 是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
この世においては存在するすべてに実体がないのだから、人は、一箇所にとどまってはいません。
喜びも時の流れとともに消えてしまうのです。悲しみも時が忘れさせてくれます。
たえず新しい時が生まれ、生まれたとたん消えていくのです。
だからこそ、この瞬間瞬間を一生懸命に生きていかねばならないということです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 舎利子(しゃりし)
後に智慧第一と呼ばれる舎利子は、親友である日連(モッガラーナ)といっしょに、
お釈迦さまに帰依しました。舎利子は静かな瞑想の暮らしを好み、師のかわりに
説法をしたとされています。この二人はお釈迦さまより早く、
ほとんど同時に入滅しますが、師の入滅を見たくなかったからそうしたのだといわれています。
春日部店 赤松 誠
般若心経 亦復如是(やくぶにょぜ)
「かくのごとし」という意味です。こころもまた実体がないものであり、
実体がないものが心なのです。そうではあるのですが、
心にもとづいてすべては決定され、心にもとづいてすべてはつくられるのです。
心も空なのですから、固定されたものはないというのが、
般若心経の立場です。
春日部店 赤松 誠
般若心経 受想行識(じゅそうぎょうしき)
私たちの心のはたらきを四つに分けてあります。
受とは感じること、想とは感情をつくること、
行とは自分の意志をつくること、識とはそれらのはたらきを知ることです。
もし心のはたらきを自由にコントロールできるのなら、憎しみや貪(むさぼ)りを超えて、
どんなに素晴らしい人生を送ることができるでしょう。
般若心経 舎利子(しゃりし)
お釈迦さまの十大弟子の一人のシャーリプトラで、智慧第一とたたえられています。
お釈迦さまの教えを合理的に整理し、誰にでもわかるように説きました。仏教の空観の神髄である般若心経が、
お釈迦さまからシャーリプトラに説かれたということに意味があるのです。
これは智慧の完成のための教えなのです。
写経 度一切苦厄(どいっさいくやく)
どうしてこの世の成り立ちを見つめるかというと、見つめるだけでは何も変わりようもなく、
人の苦しみや災いを救うということがなければなりません。観自在菩薩、すなわち観音さんは、
この世の苦しみから人を救おうと誓願したのです。苦しみの根は四苦、すなわち生老病死です。
この苦しみは誰にも平等にあります。