スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(7)

星野一義さん
永遠のライバル 今も競争 プロ意識の塊 繊細だが熱く
1978年のヒーローズ・レーシングの強さはずぬけていた。2年目の僕は3月のF2の開幕レースから3位、2位と順位を上げ、5月の鈴鹿フォーミュラジャパンで初優勝した。総合王者は2年連続で星野一義さんだったけれど、79年に別のチームに移籍した僕は第1ドライバー同士で星野さんと戦い、ついに追い越すことになる。
81、82年とF2総合王者になり、84年から記録した3連覇はいまだ破られていない。
好き嫌いの問題じゃない。俺はこれで生きていく。プ意識の塊。
私は好きになればなんでも続けられる探求したくなると考えてきました。ですが、星野氏のこの言葉を知り、改めてプロとはどういうものかを考えさせて頂きました。
自分で決断すること、そしてやりぬくことができる方がプロなのだと思いました。プロとしての自分を確立していこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(6)

プロへ
FJ1300を7戦7勝 先輩・星野一義さんには勝てず
日本で最初の自動車レースが東京・洲崎の埋め立て地で行われたのは、1922(大正11)年というから結構、歴史は古い。62(昭和37)年に鈴鹿サーキット、66年に富士スピードウェイが開業し、トヨタや日産など大手自動車メーカーの「ワークス」と呼ばれるチームがしのぎを削るようになったあたりから、モータースポーツの認知度は急速に高まった。ホンダは64年に早くもF1に挑戦し、翌年初優勝している。
プロになること、中嶋氏がプロになった時代は世間の後押しは少なく、自力でレースを続けようと頑張る情熱家・好き者の集まりが走っていた時代だったとのことでした。そのような時代の中でも、お金ではなく、達成することやできるようになることを目標にし、ゴールを目指して進んでいると知りました。
お金でなく、達成することで叶うこと、1番になることでのわかることを知ろうとする姿に憧れを持ちました。
また、勝たなければいけない先輩の存在の大きさを知りました。
私にも、勝たなければならない上司がおります。後藤一義と竹内悟のような関係になり、我が社のNo.1の前を行く男になりたいと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(5)

登竜門
借りた車でライバル圧倒 苦しい活動資金 借金も膨らむ
青春はそれなりに謳歌していた。地元の友人たちとヨットやサーフィンに興じ、加山雄三さんの「若大将」シリーズに憧れ、大学進学を考えた時期もあった。高校の3年間はスキー同好会に属し、冬休みをまるまるスキー合宿に充てたりした。
しかし自分にはこれが一番と思えることと、実際にできることの辻つまが合うものを探すと、最後はレースが残った。車の挙動をさらに深く知ろうとしたら、公道ではもう無理だということも。
僕以上に僕のことを思い詰めてくれる人が現れる。
中嶋氏の節目節目での人との関わりや絆、感謝への強い考えを感じました。周囲の方から助けてもらえる・援助される、中嶋氏が成果を出すために行った行動や生活を見て周りの方は協力したくなっている。
自身の日頃の行動や努力が自身の結果を生むことを再度認識いたしました。
仕事も余暇も充実できるかは全て自身の日頃の生活の結果だと思います、常に考え常に行動していきます。
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日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(4)

山道
S字やヘアピン 腕磨く 兄が石油店 配達もまた練習
18歳になると念願の自動車の普通運転免許を取得した。バイク同様、兄の正悟の手ほどきを受け、教習所に通うことなく合格した。「約束したよね」と父に迫り、白のフェアレディZを手に入れた。大卒初任給が4、5万円の時代に100万円もする新車を乗り回す僕は、ただのどら息子に見えたかもしれない。
断っておくが、車やレースに関する周囲への借金は後にすべて完済した。父親にも後年ベンツをプレゼントした。
中嶋氏は寝ても覚めてもプライベートも仕事中も練習になることを意識して生活していたのだと感じました。
常に考えることであらゆる想定をし、クリアし、一つ一つの快感に似た感覚を味わっていたとありました。
私も常に仕事、お客様、物件のことを考えられるようになり、様々な想定を事前にして準備していこうと思います。
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日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(3)

ゴーカート
初レースでいきなり優勝 生きる証し手に入れた感覚
中学生の頃、つい自宅の敷地内からバイクで公道に出て、警察官に追いかけられた。どう見ても子供にしか見えないのだから、向こうも慌てたことだろう。交番であれこれ聞かれ、説教もされたが、最後は「押して帰れというのも気の毒だなあ」。
交番が見えないところまで押して行ったら、後は好きにしろという意味だった。なんともおおらかな時代だった。
小学生でダンプカーも運転した。自宅の裏山が宅地造成で切り開かれ、削った土を運ぶダンプが四六時中出入りしていた。
ふとしたきっかけからエンジンの虜になり、今まで賞状の類を何一つ得てこなかった人生から、優勝トロフィーを獲得し、生きた証を手に入れた感覚だった。
私は学生時代・社会へ出てからと勉強をほとんどしてきませんでした。一昨年の宅地建物取引士が人生初めての国家資格でした。周りの方々の多大なご協力でやっと取得できました。中嶋氏のような人生を歩むために、私もこの一昨年の宅地建物取引士の資格をスタートに人生を始めていきたいと思います。
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日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(2)

劣等感
何でもできる兄に競争心 心慰めてくれたホンダの二輪
1953(昭和28)年2月23日、僕は姉2人、兄1人の4人兄弟の末っ子として愛知県岡崎市に生まれた。父の名は昇、母の名はたま。家は江戸時代から代々農業を営んでいた。
1925(大正14)年生まれの父は、太平洋戦争に出征すると「雲鷹(うんよう)」という空母で艦載機の整備兵を務めた。身内の男子はほとんど戦死し、戦争が終わると家と農業をいや応なしに継いだ。
自分と誰かを比べる、相手の方が成功していればどうしたら勝てるのかを考える、これも一つの原動力と思いました。
お客様の住まい購入に対しても、他の営業の方に勝ち1番の提案、他にはない提案ができてこそと改めて認識いたしました。
また、お客様の原動力となる動機は何かを掴み、本意を聞き取ろうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 私の履歴書 中嶋悟氏 を読んで(1)
中嶋 悟 氏
国内トップカテゴリーF2シリーズで5回のチャンピオンを獲得。ホンダエンジンの開発にも参加して、F1テストドライバーも務める。
34歳で念願のF1フル参戦ドライバーとして、名門チームロータスよりホンダエンジンでデビュー。この年より鈴鹿日本GPも開催され、F1が爆発的な人気となる。
91年にドライバーを引退。
NAKAJIMA RACINGの総監督として、新しい活動を展開する。
主としてチーム運営を行なう傍ら、国内レースの活性化などモータースポーツ界での
重要な役割を担う。
国内外の若手ドライバーにチャンスを与え、ドライバー育成にも力を注ぐ。

車こそすべて
レースにささげた人生 仕事も余暇も 「幸せなヤツ」自負
「モータースポーツの頂点に君臨するF1の世界に初めて日本人としてフル参戦したドライバー」。そう僕を褒めてくれる人がいる。正直あまり居心地はよくない。F1で世界チャンピオンになったりしていたら、少しは「どうだ」と誇らしげに語れるのかもしれないが。
1987年に34歳にしてロータス・ホンダのシートに座ったが、タイミングが前でも後ろでも5年ずれていたらF1との縁は持てなかっただろう。
努力しても頭に描いたものが実現する保証は全くない世界で、必要に迫られて日々対応していたら、その時々で頼もしい仲間が現れ、綱渡りに手を貸してくれたというのが実感だ。
仕事も余暇も「幸せなやつ」自負
中嶋氏の一つ一つの言葉から凄さを感じました。初めてF1にチャレンジした日本人、このような偉業を行っている方が努力していないわけはなく、私には想像もつかない努力・困難にあたってきた方が、頼もしい仲間のおかげ、幸せだったとおっしゃっていました。常に周りへの感謝・自身の投じる世界を好きになることが原動力なのだと感じました。
私も建築への思いを高め、周囲への感謝を高め仕事に向き合いたいと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
令和3年度宅建試験の結果と振り返り
住宅比較株式会社の吉田です。令和3年度の宅地建物取引士試験10/17㈰を受験致しました。結果として29点/50点となり、5回目となる受験も不合格となりました。お恥ずかしい限りではございますが、今年度の試験結果の内容と来年に向けての反省と方策を掲載させて頂きます。
今年の試験結果
合格予想点:34~36点
権利:7点
法令:4点
税その他:3点
宅建業法:15点
合計:29点
【反省】
・8月から始まる毎週のテストで上位に入れていないこと。
・過去問や予想問題の間違えた問題や苦手分野に関しての見直しや反復演習が出来ていないこと。
・講師からのスケジュールについてのアドバイス通りに進められなかったこと。(7月末までには過去問を解けるようになっていること。)
【方策】
・7月までに過去問12年分どこを出題されても満点を取ることができる状態にする。
・過去問問題集に間違えた問題はチェックしておき、後からできるまで解く。
来年度の宅建試験で必ず合格することを誓います。
住宅比較 株式会社
吉田 真樹
相続空き家、上手に売る
こんにちは。住宅比較株式会社の吉田です。
日本経済新聞にて、相続空き家の売却についての記事がございましたのでご紹介させて頂きます。
弊社では、毎週200件~300件空地空家調査とDMの発送をおこなっております。
空地空家は、遠方にお住まいの方が所有しているケースも少なくありません。
・空き家の個数は年々増加しており20年で1.5倍
・空家の取得方法は相続が54.6%を占める
・売却しやすい物件
①駅に近い(市場価値がある)
②近所に購入希望者がいる。
③維持・管理が行き届いている。
④相続人全員に売る意思がある
⑤家屋を終戦して売るか、取り壊して売るかが明確
・相続空き家譲渡の3000万円特別控除の主な条件
①相続発生時から3年後の12月末までの譲渡
②1981年5月末までに建築した戸建が対象
③売却先は親族以外の第三者
④売却金額は1億円以下
⑤売却時に耐震リフォーム実施または家屋を取り壊し敷地のみ売却
※この特例は2023年12月末までに売却した場合に適用されるので注意が必要です。