不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2025.01.05

【宅建勉強会の奇跡】第5話

鼻を折られたが、すぐに元に戻ってしまう

入社して2ヶ月目で、N営業所長(この1ヶ月の投稿の中間で正体を明かします)より、「現場見学会をやってみよう」と私と同期入社のU君にお話がありました。

現場はとてもカッコ良い、前衛的な外観で、【やってみたい気持ち】と【本当にできるのか】が同居していた。まだ現場見学会が何かも分かっていなかった。

先輩に教わりながら、工程表作成、備品チェックリスト作成、現場の準備、チラシ作成を行っていきました。

現場は、事務所から自転車で約40分ほどかかる距離でしたが、チラシの投げ込みと飛び込みで往復していました。

開催前日、窓枠などが汚いとの指摘を頂き、夜遅くまで掃除していたのを覚えています。

そこにご来場頂いたお客様が、私が最初にご契約を頂くお客様なのですが、そのご契約にも色々と私の謙虚でない一面が出てしまい問題が起こります。

私は、注文住宅営業は、間取りが決まってからご契約だと本当に思っていました。

そのお客様は、庭にもう1軒家を建てる方でしたので、「まだゆっくり検討したい」とおっしゃっていました。ただ、その【ゆっくり】というのが新人の私には本当に【ゆっくり】だと思っていたのです。

先輩に、「今月契約するよ」と言われ、私は、「お客様はゆっくりとおっしゃっていますし、まだプランも気に入ってもらえていません」と突っぱねていました。

それでも強引に契約をすると言って先輩に商談同行してもらっていたことに全く納得できず、私は出社拒否しました。

ご契約日、私をN営業所長が迎えに来てくれました。「あなたがいないとお客様が困っちゃうよ。一緒に行こう。」契約書類は営業店長が用意してくださっていました。

お客様にお会いすると「これからもよろしくね」と笑顔。なんだか不思議な気持ちでした。

ただ、ここで甘えてしまった自分がいました。入社して2ヶ月目で初契約を迎えた私が、そこから1年間、【契約ゼロ】で過ごすことになります。

そこには、前話でお話した、【売れていない人へのおごり】が発動します。

2025.01.04

【宅建勉強会の軌跡】第4話

フレッシュな頃は何でも楽しかった~

最初は営業店から注文住宅営業マン人生が始まった。

先輩から担当エリアをもらい、その地域の担当となった。

担当を持たせてもらえたと、嬉しかった。

何が何でも同期一番で成績を出してやろうと思っていた。

行動は下記の3通り。

10時~17時【飛び込み・・・一軒一軒ピンポンピンポンとインターホンを鳴らす】

18時~21時【電話アプローチ・・・電話帳の【あ】から順番に電話をかける】

22時~   【チラシ投函・・・現場見学会やキャンペーン、イベント等】

最初は辛いとは思わず、楽しかった。同期とも月曜の夜には集まって会合し、終電までお互いの状況を語り合った。

お客様も少しずつ増え始めて来た。本当はとても楽しくなるはずだった。

ただ、そんな営業生活が慣れてくると、怖い現象が起こってきた。

【そんなに成績を上げていない先輩たちは、何で飛び込みとかやらないんだろう】

その頃から、先輩たちを見る目も変わってきた。

2025.01.03

【宅建勉強会の軌跡】第3話

就職、その環境に委ねよう きっとうまくいく~

私が就職した会社は、地域密着を売りに農耕型経営を推し進めるグループ経営会社であり、上場はしていないが地域では有名だった。

注文住宅営業マンとなった私の周りには、【出来る営業さん】が多数いて、中には、お客様に間取りや金額を即座に伝えて契約アポを取得してくる営業さんもいた。

お客様の目の前でプラン用紙にその場で間取りを書きながら提案している営業さんもいた。

何も建築の知識のない私は、『凄いな、この会社にいればこうなれるのかな』と思った。

私の故郷とは多少離れた、初めての地にて、本当に営業活動が出来るのだろうかと不安もあったが、『みんな出来ているのだから大丈夫だろう』と思っていた。

注文住宅営業マンになった同期は全部で15名。大学の建築学科を出ていた人もいたが、それほど建築好きをアピールしていたりしていないし、『間取りも書けないよ』と言っていたので安心したのを覚えている。ほぼ全員が建築提案においては初心者であった。

『経験を積めば、自ずと色んなことが出来るようになってくる』

これが今から考えると【努力しない最初の環境】だったのかもしれない。 建築と不動産に関わりながら、全く建築と不動産に関連する【資格】を約16年に渡り取得もせずに何とか過ごしていた営業マン人生が始まる

2025.01.02

【宅建勉強会の軌跡】第2話

社会人になるまで 【環境】によって育ち方が変わる

これからこの【宅建勉強会の軌跡】を約1ヶ月に渡り執筆する私のことをお話します。

私は、1970年代の後半に普通のサラリーマン家に生まれた。

父は、地元の酒の問屋に勤務していて、母は専業主婦。

母方は商売家系で、石材店等を営んでいた。母の明るい性格と話し好きは、そのまま私が引き継いでいる感がある。

幼稚園・小学・中学・高校と地元で過ごし、大学受験で失敗、予備校へ、そのあと1年間アルバイトをしながら仮面浪人のようなことをしていた。その時のアルバイトで料理を覚え、安易にそのまま料理の道でも良いかなと思ったが、父に止められた。

高校出てから2年間も遊ばせてもらったので、理系である私は私立大学では親に負担をかけ過ぎると思い、センター試験(いまで言う共通テスト)である程度得点を取ることを目標にし、地方の国立大学になんとか入学出来た。

今の私が振り返ってみると、田舎の小学校で育ったので、周りは勉強熱心という子供がいなかったような気がしてならない。おそらく、そういう子はいたのかもしれないが、【見えていなかった】のだと感じる。親の教育もそうなのだろう。

とんぼを追いかけるような、田舎の伸び伸び育った少年のイメージそのものなのだと感じる。

最初からその【環境】にいれば、それが当たり前になるのだろう。

勉強熱心な家系ではなかったことは確かだった。

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