スタッフブログ
般若心経 三世諸仏(さんぜしょぶつ)
過去は過ぎ去ってすでに見えないのではなく、未来はいまだやってこずに存在しないのではなく、
この現在の中にすべて現れているのです。私の前には、過去と現在と未来にわたるすべてのことが、
真理なって流れているのですが、なかなかそれを見ることができないのです。
私たちの前には実にすべてがあるのです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 究竟涅槃(くきょうねはん)
慈悲ということが、仏の愛なのです。相手にへりくだったり、自分に従属させたり、
お互いにへつらう関係の中からは、このうえなく平安な境地には到ことはできません。
正しい判断にもとづいた行動をすれば、迷いのない絶対安心の境地をきわめつくすことができる、
すなわちこのうえない境地にはいることができるということです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 (遠離一切顚倒夢想 おんりいっさいてんどうむそう)
正しいことを悪いとみなし、悪いことを正しいとみなすのが顚倒で、そのような誤った考えは夢のごとくむなしいので、
そこから離れなさいということです。たとえばアイには、自分はこんなに愛したのだから相手からもあ愛してほしいと、
代償を求める執着があります。慈悲は、まったく見返りを求めません。
春日部店 赤松 誠
般若心経 無有恐怖(むうくふ)
心がこだわらなければ、恐怖[くふ]はやってきません。
この頃災難を受けることが多いからお祓[はら]いをやって欲しいと
親戚の人より頼まれた良寛は、災難を受ける時には受けるがよろしいとさとしたそうです。
それが災難の被害を最も小さくする方法です。
小さな災難を受けていたほうが、結局は無事です。
春日部店 赤松 誠
般若心経 無罣礙故(むけいげこ)
心にこだわりを持たないが故に、という意味です。執着がなければ、とらわれもなく、
苦しみが湧いてくることはないということです。こだわっていると、
たとえば愛する人が心変わりをした時、愛が反転して憎悪になります。
愛が深ければ深いほど、憎悪の激しさは増してきます。こだわりも無明でしょう。
春日部店 赤松 誠
宅建勉強記録
令和3年8月9日(月)7時〜8時、19時〜23時
住宅比較の吉田です。
⚠︎間違えた問題です。
・宅建業者が建物の貸借の媒介を行う場合、当該建物が既存の建物であるときは、既存住宅に係る住宅の品質確保の促進等に関する法律第6条第3項に規定する建設住宅性能評価書の保存の状況について説明しなければならない。
正解は、×(誤り)です。
建物貸借の媒介の場合、当該事項の説明は不要です。
本問は、書類関係の保存の状況についての重要事項説明。
既存の住宅の場合、宅建業者はある一定の書類(建築確認申請書、確認済証、検査済証、建物状況調査結果報告書等)について、その書類の保存の状況について説明しなければなりません。
この保存の状況は、当該書類が有るか無いかについて説明すれば足ります。
それぞれの書類の内容まで説明する必要はありません。

般若心経 心無軽罣礙(しんむけいげ)
心にこだわりを持たないという、菩薩の心を語っています。こだわらないとは、
自分の心がつくり上げた執着に束縛されないことで、この心境になればすべてに対して自由自在です。
競争を原則とする社会に生きている私たちはには、こだわりの心を捨てることは難しいのですが、
空っぽになれたら本当に自由になれます。
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般若心経 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみつたこ)
「般若波羅蜜多に依るが故に」とは、仏の智慧の中にいる安心な心の状態をいっているのです。
つい目先のことに気持ちを奪われ、つい欲望に負けてしまう私たちにとって、智慧の完成など簡単なこととは
とても思えません。それでも智慧いうものを知り、智慧を説く般若心経を唱えれば、智慧に一歩近づくのです。
春日部店 赤松 誠
般若心経 菩提薩た(ぼだいさつた)
菩提薩たはサンスクリット語のボーディサッタの音訳で、仏のこのうえないさとりを求めて修行する人のことです。
自分の修業をする自利と、他人を救っていく利他と、この二つの行をする人を菩提薩たといい、
これを短くして菩薩といいます。発心即菩提というように、仏の道を歩きはじめた人はすべて菩薩です。
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