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般若心経 真実不虚(しんじつふこ)
人の意見をたくさん聞いたとして、どの意見も真実だとおのおのがいい立てたら、
私たちは迷うばかりです。真実の教えというものは、本来はたったひとつしかないはずです。
それはつまり、世の中の真実を正確に余すところなくとらえた言葉です。
般若心経とは、世の中の中心の中心をとらえた教えなのです。
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般若心経 能除一切苦(のうじょいっさいく)
このように智慧を完成させれば、すべての苦しみをよく取り除いてくれるのです。
人はたいてい誰でも、いうにいわれぬ苦悩を抱えているものです。
その苦悩から逃げたり、考えないようにしたのでは、いつまでも苦しみはつづきます。
この苦しみが湧く根源を探って、苦しみの原因を消さねばなりません。
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般若心経 是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
これこそほかとくらべることのできない真言であるということです。
たった二六二文字の、掌(てのひら)の中にはいってしまうような般若心経なのですが、
実はこの宇宙のすべてをいいつくしてしまうほど奥深な哲理なのです。
その哲理の山脈の頂に、とうとう私たちは立ったということなのです。
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般若心経 是無上呪(ぜむじょうしゅ)
般若波羅蜜多の六つの文字は、この世においてほかとくらべることのできない、
このうえない真実の言葉であるということです。
「はんにゃはらみつた、はんにゃはらみつた」と、私たちはいつでも唱えているべきです。
人の思想というものは、いつの時代も言葉によって伝えられてきたのです。
最高の言葉が真言なのです。
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般若心経 是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
「明」というのは、もちろん明るいということで、ものごとの真理がよく見通せ、
やがてはさとりを得るというような意味に使われています。
智慧の完成の光が、苦しみや悩みや迷いを生みだす根源である無明に射し込むと、
やがて闇(やみ)が流れだしていき、無明も消えるというような意味です。
苦悩の根源が消滅するということです。
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般若心経 是大神呪(ぜだいじんしゅ)
大いなる真言(しんごん)こそが、智慧の完成ということです。
如来の真実であるから真言というのです。
不思議な霊力をあらわす言葉を、古代インド語ではマントラといい、
漢訳されて「呪(しゅ)」や「真言」とされました。
仏教が確立する以前の世界では、宗教の儀式の際に歌われる神歌のことでした。
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般若心経 故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみつた)
「故に知るべし、波羅蜜多は」ということで、これから智慧の完成はどのように表現され、
どのような効果があるかが説かれます。すなわち、あまりに微妙で不可思議で、
私たち凡人にはなかなかに計り知れないものであるということなのです。
頭でりかいしようとしても、限界があるということです。
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般若心経 得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
サンスクリット語の「アヌッタラーサミヤックサムボーディ」を」漢字で書くと、阿耨多羅三藐三菩提となるのです。
ふさわしい言葉がないので、そのまま音訳したのです。ひらたくいえば「このうえない正しいさとりの境地」と
いうことになります。仏とは智慧とは、あまりにも微妙で崇高で、言葉が追いつけません。
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般若心経 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみつたこ)
「般若(はんにゃ)」とは古代インド語の「パンナ」で、真実の生命に目覚めた時に得ることのできる根源的な
叡智(えいち)ということです。すべてのものごとの真理が、この経典に説かれている空(くう)ということなのです。
私たちの人生では、この空の認識をもってすれば、苦しみ悩みも乗り越えることができるのです。
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