スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 吉野彰氏 を読んで(28)
新三種の神器
「2次電池は心臓」励みに 技術より価値観が社会を変える
「繰り返し充電できる2次電池は電子部品の『新三種の神器』のひとつだから、近い将来、世界を大きく変えることになるよ」
話は遡るが、1980年代後半、私がリチウムイオン電池を研究していると聞き、こう励ましてくれた人がいる。新型2次電池が実用化する見通しがまだ立っていないころのことだ。
その人によれば、新三種の神器は2次電池のほか大規模集積回路(LSI)、ディスプレー(表示装置)とのことだった。
三種の神器と三種の鈍器
時代・価値観・社会と移り変わっていくと最新であったものが廃れていき、新しいものが生まれてくる、お客様への提案や仕事のやり方も基本は絶対、ですが既存のやり方だけでは時代に取り残され置いていかれてしまいます。常に何が出来るかを考え、先の先の先を考える仕事を心がけようと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 私の履歴書 吉野彰氏 を読んで(27)
教壇に立つ
企業内研究 醍醐味伝える 産学の橋渡し役に使命感
企業の研究者にとって何よりもの喜びは、研究成果を製品として世に送り出せることだ。リチウムイオン電池も曲折をへながら製品化できた。一方で、この研究の源流にあるのは京都大学の恩師、福井謙一先生や筑波大学の白川英樹先生らの成果である。アカデミアと産業界が手を携えて実現した成果ともいえる。
旭化成のフェローに就き、社内で研究人材を育てる仕事に慣れてきたころ、産学の研究の橋渡しについてもよく考えるようになった。
孫のような子供たちが目を輝かせて話を聞いてくれるのが何より楽しみだ。
この言葉が1番印象に残りました。
自身の研究、後世の人材の育成、社会貢献と多方にわたり影響を与える方、これほど努力し専念した方だからこそ成果が出せ、周囲から信頼され、人材育成ができると知りました。
成果を出す為に何が最善か、何が必要か何が不要かを考え行動していこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(26)
家族
11人そろって受賞旅行へ 分かち合った喜び 感謝の証しに
スウェーデン・ストックホルムで開かれるノーベル賞の授賞式や晩さん会は、欧米流に夫婦同伴で出席する。私の受賞旅行には妻のほか長男、長女と次女のそれぞれの夫婦、長女の義父母、孫2人に加わってもらい、総勢11人の大所帯になった。皆が北欧での滞在を楽しんでくれた。
自然科学分野のノーベル賞受賞者はたいてい大学などアカデミアの研究者だ。学者の世界は師弟関係を大事にし、世話になった先輩や同僚を授賞式に招く。
ノーベル賞の授賞式に子供たちに参加してもらったのは、罪滅ぼしでもあり感謝の気持ちを伝えたいからでもあった。
吉野氏ほどの方であって、これだけの努力をされている方であっても成果を出すためにはこれほどの苦労を重ねなければならない、私が成果を出すには今のままでは全く足りないと感じました。
お客様に喜んでいただく・安心していただくためにはこんなものでは全く足りないという現状を認識し、他にできることは何かを探していこうと思います。
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私の履歴書 吉野彰 を読んで(25)
授賞式
「電池が環境革命牽引する」 記念講演での訴えに手応え
2019年12月5日、スウェーデンの首都ストックホルムに到着した。ノーベル賞授賞式に出席するためである。この時期の北欧はさぞかし寒いかと心配だったが、案外暖かい。受賞者の定宿グランドホテルに着くと、玄関前にはすでに大勢の報道陣が待ち受けていた。
心境を尋ねられ「最高です」と答えたが、正直なところ上の空だった。これから始まるノーベルウイークは諸行事がびっしり続く。
受賞者の方しかわからない貴重な経験や体験、結果を成し遂げた方の私には未知の世界を知ることができました。
自身が先のビジョンをどう持っているか、吉野氏のように未来の社会に貢献する、何を実現すると持っている方が進んでいけると思いました。
私もお客様との先のビジョンを持ち、仕事を通じた先のビジョンを作っていこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(24)
ノーベル賞
欧州が関心 可能性を直感 「脱化石燃料社会へ道」と評価
君の業績はノーベル賞に値するものだよ。研究業績の資料を送ってくれないか」
2000年、米国の電気化学会に出席のため、ハワイ州に出張したときのことだった。学会を終えてホノルルの空港で搭乗を待っていると、日本人のある有力な研究者からこう耳打ちされた。
この人がノーベル賞の推薦人だったのか定かでないし、名も明かせない。賞の選考過程は50年間は非公表で、関係者に守秘義務がある。
コングラッチュレーションズ、吉野氏がノーベル賞の連絡の最初の一言でした。
何度も何度も非常に困難な壁にぶつかり、努力や周りの方々との協力・支援でこえ、最高の結果を達成する。受賞することができたのも社会に貢献する道を開いたことが大きな理由とのことで、私には想像もできないことだと感じました。
ひたすらやり続けて、その都度考え相談し壁を超えていくことで、私もお客様の喜びを叶えられるようやり続けるようにしていこうと思います。
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宅建試験 感謝!
40点以上での合格!!!
住宅新報に宅地建物取引士の記事が掲載されました。
コロナ禍での宅建士の資格試験が開催されました。ワクチン接種がすすんだことで、今年の受験者のマインドが昨年と変わり、受験者数も回復してきたきました。09年から18年までは受験者数が20万人を割り込み結果に推移しておりましたが19年以降20万人の大台を超える受験者数が続いております。
丸暗記で解けない問題が増え、意味がわかっているかを問われている。
2021年の試験分析によると昨年に比べ、難しく応用力が問われる問題が出題されておりました。合格ラインも昨年から比べ2〜3点下がる見込みとのことでした。
法令上の制限において建築基準法では防火・耐火の一文字違いのひっかけの問題があり、知識を曖昧にしていた方は違和感なく読んでしまったと思われます。
権利関係においては間違えさせる問題が出題されており、全体的に昨年度より難しくなっておりました。
全体的に問題が難しくなったとの記事でしたが、弊社の勉強会参加者では合格者は全員40点台での合格見込みを勝ち取っております!合格発表がまだ先ではありますが、余裕の点数を勝ち取っていただいたので安心して合格の発表を待てると思います!
今までのようにただ過去問を解く・覚えるではなく、解く・復習・掘り下げ・理解するをひたすらできるまでやり切っていただいた結果だと思います。
勉強会への参加ありがとうございます。
余裕の合格点を勝ち取って頂きありがとうございます。
一緒に成長して頂きありがとうございます。
今後の更なる飛躍を期待しております!私も成長できるよう見習います!
ありがとうございます!
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(23)
フェロー拝命
研究室開設し若手を育成 「簡単に諦めるな」ときに厳しく
2003年、研究開発担当の役員に呼び出された。「フェローになってくれないか」という。
フェローはもともと大学や研究所などで成果をあげた研究者に与えられる称号だ。近年は研究者に限らず企業でも広がってきたが、当時はあまりなじみがなく、私は名誉職的なポストと考えていた。
私は55歳になったばかりで、リチウムイオン電池事業開発室長として電池の改良に取り組んでいた。
次世代の教育、困難を乗り越えるタフな精神力、企業にとっての人材育成と意味を多く考える文章が多くありました。ただ目の前の仕事をできるようにする教育、先を見据えてどういう人物になってもらいたいかを考える教育、企業にとってどういう人物になってもらいたいかを考えた教育、教育にもたくさんの道があり、どの教育に関しても壁を乗り越えるタフな精神力が必要と感じました。
諦めない・やりきる・できない、失敗したのであればできるようにする
お客様への感謝を持ってできるまで叶うまでやり続けます。
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日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(22)
魔法のフィルム
絶縁材と因縁の出合い 特許囲い込まぬ戦略当たる
他社の電池に使う予定のセパレータ(絶縁材)ですが、ちょっと性能を調べてもらえませんか」
1985年ごろ、違う部署の同僚から頼まれた。この部材は「ハイポア」(商品名)。のちに新型リチウムイオン電池の中核部材に採用され、旭化成の成長事業のひとつに育っていく。このときが最初の出合いだった。
セパレータは電池のプラス極(正極)とマイナス極(負極)を隔て、電気の運び手であるイオンを通す役目を担う。
瓢箪から駒、他社向けの商品開発が自身にとってとても役立つものになった、自身が考えていた用途が実はより役立つ用途を秘めていることがあると知りました。可能性を広げることが大切だと感じました。
特許を取ることに関して、ライバルが増えるが他メーカーからライセンスすることを選んだとありました。何を目指しそのためにどんな方法を選んでいくかが大切と感じました。
お客様が何を求め、本意では何を望んでいるのかを掴み、叶えるための道を探していこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(21)
IT革命
パソコン・携帯に出番到来 設備投資が重荷、合弁から撤退
不思議な光景に見えた。なぜ、これほどの行列ができるのか、と。
1995年11月、米マイクロソフト社のパソコン基本ソフト(OS)「ウィンドウズ95」の日本語版が発売された。英語版の発売から3カ月遅れだったが、家電量販店の店頭には発売日前から大勢の人が並んでいた。
「一部のパソコンマニアの人たちの世界の話かな」。同僚ともそんな話をした。この出来事が、リチウムイオン電池が普及しはじめる号砲になろうとは、
専門分野を伸ばすこと、多方面に渡って事業を展開すること、達成への道はたくさんありますが私自身の力だけで多方面にわたって仕事をすることは難しいと思います。何かを特化するためにしぼっていきます。
吉野氏のマネージャーとしての考え、部下たちの将来をみる考え方も非常に印象的に感じました。
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