不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2023.01.06

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行⑤を読んで

【本文】

高校3年間を過ごした鹿児島市のラ・サール学園は1950年(昭和25年)の開校だ。私の生まれた年と同じで、同級生みたいなものだ。受験勉強をしている時から縁のようなものを感じていた。通っていた福岡県大牟田市の松原中学校から4人の同級生が試験を受けた。受験番号は174。この番号だけは今でも覚えている。試験前、番号をじーっと眺めていた私はある考えが頭に浮かび「受かった!」と口走った。理由は「174は173(ひとなみ=人並み)より上」だからだ。…

【感想】

ラ・サール学園名は、私の世代だとコント赤信号のラサール石井氏で初めて知ったと記憶しております。受験でも緊張や不安もあったと思いますが、著者の受験番号の語呂で自信が持てたという、プラス思考の発想も社会経験に生きているのだと思いました。雑誌見出しでも「熱狂のマンション、崖っぷちの戸建て」などあり、資材高騰などを受け、新築物件は、注目度が低くなっている記事が載っていますが、発想の転換で、マイホームFPを使い適正な資金計画で良い物件を勧めてお客様に幸せをご提案してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.05

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行④を読んで

【本文】

小学生のころ、格好いいと街で評判のお兄さんがいた。げたをカランコロンと鳴らしながら、よく散歩をしていた。九州大学を卒業して九州電力に勤めているとのことだった。世話好きの近所のおばさんたちから「あんたもしっかり勉強して、あんなお兄さんになりなさい」などと言われたことがある。九大に進んで九電に就職する。当時の地元の子供たちにとって、何ともまばゆく映る人生だった。自分もそうであれば良いとは思いつつ、一方で、長男だから両親が切り盛りする酒店を継いで、ずっと大牟田にいるのだろうなと思っていた。…

【感想】

著者は母の勧めで進学塾の「小宮塾」に通って、実家の酒店を継ぐ道から、人生を変えていった。いつでも、どんな時でも勉強することは進むべき道のきっかけになると思いました。私も今年は宅建の講師にチャレンジいたします。全員合格を目指して私も日々勉強してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.04

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行③を読んで

【本文】

今に至るまで「極端なことは良くない」と心の底から思っている。人に関する考え方や評価も同じだ。どんな人でも良いところと、駄目なところが必ずある。どちらか一方だけに目を向けるべきではない。真実は常に中間にある。「中庸」は、私にとってストンと落ちる言葉だ。こんな考えを持つようになったのは、父がお酒を売る商売をしていたことといささか関係があるように思う。大牟田は炭鉱の街。通っていた中友小学校には三井三池炭鉱で実際に山にもぐって採炭する人や、炭鉱会社の現場管理職、東京から赴任して来たいわゆるホワイトカラーなど、さまざまな親を持つ子供たちが通っていた。…

【感想】

著者は幼少期の出来事から「中庸」という考え方が身についた。かたよることなく常に変わらないこと。過不足なく調和が取れていること。幼少期から分け隔てなく人の意見に耳を傾けることが今日の著者を形成されたのだと思いました。会社でも、人の話や意見を聴く、お客様の話をよく聴く、上辺だけでなく心の声を聴く努力をしてまいります。

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2023.01.03

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行②を読んで

【本文】

姉と弟がいる。2番目の子であり長男の私は、父の定男が43歳、母のミツエが40歳の時に生まれた。父と母はいとこ同士だったので、どちらも姓は古賀。福岡県にとても多い名字だ。私も小さい頃から学校のクラスに必ず「古賀くん」や「古賀さん」がいた。学校の友達に名字で呼ばれたことがない。よく「のぶちゃん」と呼ばれていた。3人兄弟の長男だった父は家が貧しかったため、高等小学校を出てすぐに働きに出た。家族や弟たちの面倒を見ながら、大牟田市内で酒屋を開業した。きちっとしたまじめな感じの人だった。…

【感想】

幼少期に見た父親を、反面教師として勉学に励み、東大に合格された著者は立派な親孝行をしてきたと思いました。幼少期の親も忙しかったように、野村証券に入社してしても、親のきちっとしたまじめな性格を受け継ぎ、顧客からの信頼を築き、休む間もなく邁進されたのだと思いました。2023年、浦和店も新体制になりますので休む間もなく目標達成に向けて邁進してまいります。

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2023.01.02

日経新聞 私の履歴書 吉野 彰16を読んで(休刊日のため)

【本文】

宮崎県延岡市の中心部から東へ車で約20分。川を渡ると小高い丘に囲まれた広大な工場がある。敷地は東京ドーム10個は優に収まる約15万坪。人里離れた場所に城跡のような土塁が築かれ、普通の工場とはどこか雰囲気が違う。旭化成の東海工場(当時)。土木工事の発破に使うダイナマイトなど、いわゆる産業火薬の主力工場である。…

【感想】

あらゆる予測を立て(仮説)、それについての対策や検証を行なっていく。(何度も想定される事態を考え)お客様に対してもここまでやったから大丈夫だろう、と自分で判断していることがあります。もっといろんな場合を想定して、お客様のことを考え、わからなかったら聞きにいく、その上で対策を考えることを実践してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.01

日経新聞 私の履歴書 古賀信行①わ読んで

【本文】

2023年はどんな年になるだろうか。人と人とが自由に行き来し、気がねなく語らう。遠方の友と会う。一度は訪れたいと思っている場所に、思い切って足を運んでみる。そんな年になればいい。…

【感想】

今年も「私の履歴書を読んで」をブログUPさせていただきます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。明日から古賀信行様の生い立ちを楽しみに読ませていただきます。

   住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.31

私の履歴書を読んで 更新しました

2022.12.31

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーティ30を読んで

【本文】

履歴書も最終幕。このコラムのおかげで私は人生を振り返り、日本との絆の強さを改めて感じることができた。昨年の1月1日、私はウィーン・フィル恒例のニューイヤー・コンサートを指揮したが、その時私の胸に輝く「赤いバッジは何か?」と世界各地から問い合わせが殺到した。…

【感想】

1ヶ月間、著者に触れ、指揮者・オーケストラの芸術を感じることが出来ました。ありがとうございました。中でも第一線で活躍している著者も、どんなに忙しい中でも365日休まず勉強していることに心動かされました。知識を広めるための読書も欠かさない、ルーティン化している事。私も365日続けることから始めてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2022.12.30

日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーティ29を読んで

【本文】

「東京のオペラの森」は2009年に「東京・春・音楽祭」と名前を変え、オーケストラも東京春祭オーケストラという名称で音楽祭の期間、演奏している。このオーケストラは日本の優秀な若きトップ奏者で編成され、私は東京のアカデミーでは指揮者のみならずオーケストラにも自分の貴重な経験を伝えたいと思っている…。

【感想】

著者は、芸術を引き継ぐ使命を果たすべく、世界を飛びまわっています。その中で、彼らから直接聴いた音色、そして言葉はどんなに通信やインターネット技術が発達しても、直接、伝えなければならないと、言っています。私たちもお客様の真意がわからなくなったら、直接お会いして確かめ必要があります。勝ってな想像や思い込みで進めると信頼を失います。メールやZOOMを使い分けて、お客様の真意を見逃さないようにしてまいります。

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