不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2023.01.23

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行22を読んで

【本文】

2003年(平成15年)の1月。野村証券はお客さま向けの新春セミナーを大阪で開いた。その夜、氏家純一社長にホテルの部屋に呼ばれ、告げられた。「次の社長をお願いしたい」私は聞き返した。「なぜ、私なのですか。氏家さんが良いと思ったからだけですか」最高経営責任者(CEO)になるのは覚悟が要る。私は覚悟を決める材料が欲しかったのだ。氏家さんは「取締役会に諮れば全員、賛成してくれると思う」とも言ったが、プロセスや手続きの話をしているのではない。知りたいのは覚悟の裏書きだった。…

【感想】

著者は、なぜ私なのですかと思われたそうですが、昨日も書かせていただきましたが、サラリーマン社長だろうと、業務で法令遵守を徹底し、私情に流されず、会社のために言うべき事がキッチリ言える人間だからこそ信頼を得られたのだと思いました。「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」私も心に想い実践してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.22

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行21を読んで 

【本文】

氏家純一社長の下で私は企画担当の取締役を務めた。システム企画も管掌に入り、西暦が1999年から2000年に変わる時の「Y2K」問題を経験した。最も汗をかいたのは、グループ会社の見直しだ。野村証券は2001年3月に持ち株会社体制への移行を決めた。その前段階として持ち株会社の傘下に入る「野村証券グループ」の会社と、そうでない「野村グループ」の会社とをきちんと分ける必要があった。複雑な株式の持ち合いを整理したり、野村系の準大手・中堅中小証券の持ち株売却を進めたりするのが私の役割だった。…

【感想】

持ち株売却で、中堅中小の社長への一人一人への粘り強く、きっぱりと話を進めた…、という一文が目にとまりました。私情に左右されることなく、言うことは言う。淡々と進めることで、上司の信頼をえてきたのだと思いました。仕事でも長く付き合うことで、信頼を勝ち取るためには、値引きをするのではなく、お客様に正確な情報を早く伝え、判断してもらうことだと感じました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.21

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行20を読んで

【本文】

1997年(平成9年)、野村証券による総会屋親族企業への利益供与が発覚した。90年代初めに続く2度目の不祥事に、厳しい批判が寄せられたのは当然だった。私は人事担当の取締役だったので、不祥事に関するうわさや情報を耳にすることはなかった。3月6日に副社長だった斉藤惇さんが利益供与を認める社内調査の結果を発表。私には突然出たという印象が強かった。酒巻英雄さんが社長を辞め、会長だった鈴木政志さんが暫定的に社長を兼務することになった。…

【感想】

人事担当時代に、社長から危機管理担当に任命されたことも、これまで著者が素晴らしい人たちと関わりながら、私情に流されることなく法令遵守に徹し、確固たる信頼を築いた証だと感じました。私も皆様に信頼されるよう、法令遵守で、「慧可断臂」を示してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.20

私の課長時代を読んで

住宅比較の吉田です。

私の課長時代の感想です。

原因の本質を掘り下げて捉えないと対策にはならない

私の仕事に置き変えて考えた時、PDCAを回していく中で、何が原因で失敗したのか。

深く掘り下げずにまた、同じ失敗を繰り返してしまう。

せっかちな性格もありますが、本質を深く考え、何度も何度も繰り返していく事で成功があると考えています。

わかっていてもできていない事がたくさんありますが、今後の仕事に役立てて行きたいと思います。

住宅比較株式会社

吉田真樹

2023.01.20

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行19を読んで

【本文】

田淵義久さんの問題発言があった1991年(平成3年)6月27日の株主総会後の取締役会で、副社長の酒巻英雄さんが社長に昇格した。思い出すのは、総会を4日後に控えた6月23日、日曜日のことだ。昼に酒巻さんから電話があり「ちょっと来てくれないか」と言われた。東京・広尾の自宅に赴くと「高輪の研修センターにいっしょに行こう」ということになった。そこには田淵節也さん、田淵義久さん、副社長の水内靖裕さんがいた。3人と話した酒巻さんは部屋から出てくるとひと言。「社長になるんだよ」そうなったからには対応が必要だ。…

【感想】

人事部長時代も社長から信頼され、人との出会いを大切にし、忖度なしの誠実な人柄が、「キープヤング野村証券」の中でも評価されたのだと思いました。また、同期がソフトバンクに転身した件も描かれておりましたが、孫正義 氏の高い志に共感し、行動を起こされたのだと感じました。これから社員を迎えるにあたって、自分がどうなりたいか、会社をどうしたいかを明確にしなければ未来はないと思いました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.19

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行18を読んで

【本文】

1991年(平成3年)、証券業界と市場は激震に見舞われた。その年の6月から、野村など大手証券会社の大口投資家への損失補塡が大きく報じられるようになった。前回書いた営業特金の処理に伴うものだったが、背景を知らない人から見れば、何とも不可解で不健全、市場の公正さを踏みにじる行為だった。野村の場合は暴力団との取引関係も明るみに出た。株価下落で社会に鬱積した不満も相まって、証券会社は強い批判にさらされた。…

【感想】

バブルの責任を証券会社が取らされたようなかたちで、著者も逆風を受け耐え忍んだのだと思いました。景気の良さに踊らされて、法令遵守を怠ってしまった結果、大きな代償となってしまいました。目先の利益を優先するのではなく、何事においても、危険を予知し、法令遵守し、お客様のことを考えて行動するようにしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.18

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行17を読んで

【本文】

1988年(昭和63年)11月、総合企画室に戻り、再びMOF担になった。昭和天皇のご病気で歌舞音曲が自粛のなかだった。年が改まり、元号が平成へと変わり、株式相場は騰勢を強めた。日経平均株価は12月29日の大納会で3万8915円をつけた。それが30年以上たっても更新されない、史上最高値となった。ふり返れば、経済にたまったマグマが噴き出し、あるべき市場の姿を考える、具体的な制度に落とし込む、そんな創意工夫など何もしなくても、あらゆるものが量的に拡大していく。なんでもない右肩上がりに延長戦をひく風潮の中で、ひとや企業の考え方も変わっていった。…

【感想】

バブル崩壊の兆しがあったが、誰もが具体的な対策を打てなかった…。何が起こるか分からない今の時代も、余計なところにお金をかけるのではなく、「…かもしれない」と危険予知する考えを持ち、自ら自己投資で勉強、知識を高めることが今の時代にも必要なことだと感じました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.17

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行16を読んで

【本文】

野村証券に志茂明さんという方がいた。副社長まで務めた後、監査役に転じ、私が田淵節也さんの秘書をしていた時は相談役だった。田淵さんは2007年(平成19年)11月の「私の履歴書」で「僕は何でも志茂君に相談し、彼の言うことは何でも聞いた」「僕に社長が務まったのは、理詰めで考える志茂君がいてくれたおかげだ」などと書かれている。軍師、参謀、知恵袋……。往時を知る方は志茂さんのことを様々に呼ぶ。私は指南役だと思う。黒子に徹する。聞かれれば答える。方向性は示す。話がとっぴな方向に向けば正す。そして、田淵さんが決めた。…

【感想】

指南役の志茂さん、様々な方から相談されるのは、様々なジャンルの読書から知識を吸収したことが、その時の意見や判断に活かされたのだろうと感じました。毎月の給与1割は、自己投資に使いなさい、と言われております。スマホに頼るのではなく、色々な分野の知識に触れるよう、私も積極的に読書をしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.01.16

日経新聞 私の履歴書 古賀 信行15を読んで

【本文】

1986年(昭和61年)11月から88年11月までの2年間は秘書室にいた。当時の田淵節也会長、通称「大タブ」さんの担当である。異動を命じられた時、最初は前年に社長になった田淵義久さん、「小タブ」さんの秘書かと思った。逆に言うと、それくらい田淵節也さんのことは知らなかった。最初の日に恐る恐るあいさつに行くと、いきなり「君、今日は空いてるか」。忙しいと言えるはずもなく、社内の打ち上げの宴会に連れていかれた。…

【感想】

「美点凝視」人間は、相手の欠点が真っ先に見えます。視力検査のマークはなぜ円の欠けた部分を指せるのか。それは、円の整った部分は全く気にならないが、欠けた部分が真っ先に目に入ってくるからです。これは、第一印象でも同じことで、身なり、言葉使い、声の大きさなど、初対面の方には、一目で判断されてしまいます。そのうえで、長所や徳性を意識的に注視し、伸ばしていくことが大切だと感じました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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